クリスチャンと仕事

 とあるカルトに入信した50代の男性の話。(※ 何件かの事例に基づいて構成したフィクションです)
30年前に弁護士になる夢を抱き法律の勉学に励んでいた彼は、ある日、誘われてカルトの聖書の学びを始めた。信じられない部分もあったが、ひかれる部分があり(豊かで幸せな地上&霊的なパラダイスに入ること)、団体の語るこれほどの壮大なビジョンに参加できるということは、司法書士になるよりもよっぽど大きなことだと入信した。

 ある時、指導者が言った。「今は終わりの時で、法律の勉強をしている時ではない。世の終わりが迫ってきていることを人々に知らせるべきだ。神が必要としているのは、弁護士でもなく、検事でもなく、司法書士でもない。伝道者だ。」
真面目な彼は、法律の勉強をやめ、その組織のいうところの伝道をするようになった。
指導者の言いつけどおり、婚約者との縁も切った。その婚約者はその組織への入信を拒否していたからだった。
急に人が変わったように、縁を切られた婚約者はとまどい、彼に手紙を書き続けた。会うことも電話も受け付けられなかったためだった。
彼は、心を揺るがせないように、日々、積み上がっていく手紙を、封も切らずに、放置した。指導者の言いつけに従った結果であった。
指導者は言っていた。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」(ヘブル 13:17)と聖書に書いてある。服従が神に喜ばれることだと。確かに聖書に書いてあることだと、彼は信じたのである。

 そうして真面目な彼自身も、指導者になった。長い年月が過ぎ、ノルマのような服従と伝道に、だんだん精神的に苦痛を感じて、どうにもならなくなり、精神の病気になった。
カウンセリングの中で、その組織から離れないとよくならないことに気づいた彼は、その組織を脱退した。組織の誤りに気付いた彼は、時々若い時の夢を思い出し、人生をだいなしにするカルトの怖さを痛感している。

 カルト化を扱う中で、よく似た話を聞くことがある。
カルトでは、世を捨てさせ、組織への100%に近い献身と組織への従順が語られる。

 神は愛である。完全なるお方は神だけであり、人間は弱さを持つ。失敗も繰り返す。しかし、その失敗から学び、神に強められる。失敗も益にしてくださる神がおられるからだ。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」(ローマ 8:28) 神を愛する人、限定である。
自分が主イエスの贖いを必要とする人間にすぎず、100%完全にはなれないと謙遜に受けとめることが聖書に描かれている神に近づく道である。

 「私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。外の人々に対してもりっぱにふるまうことができ、また乏しいことがないようにするためです。」(Ⅰテサロニケ 4:11,12)

 自分に与えられた仕事を喜び、神に仕えよう。世にあって、神がみこころのままに用いられる。

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