「小羊うるちゃん物語」part 5-5 A教会を後に

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  【Part5の登場人物】
     うるちゃん : 主人公
     へいわくん : 夫
     なごみちゃん: 長女
     サイエン君 : 長男
     はづきさん : 友人
     友人Nさん : なごみちゃんの幼稚園のママ友
     友人Iさん  : A教会で出会った友人
     Gさん   : エホバの証人に入ったばかりの女性
     Tさん   : バプテスト教会の知人女性
     S牧師   : A教会に来た同盟教団の牧師
     K宣教師  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師

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 もはや、なすすべもなく、心に大きな傷を負ったうるちゃんは、祈った末に、マタイ10:24~26「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになれたら十分だし、しもべがその主人のようになれたら十分です。・・・だから、彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので、現わされないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはありません。」ルカ6:39、40「いったい、盲人に盲人の手引きができるでしょうか。ふたりとも穴に落ち込まないでしょうか。弟子は師以上には出られません。しかし十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」のみことばをいただきました。uruchanそれで、「A牧師の言動により、うるちゃんの心が苦々しい思いや、批判の思い、不従順な思いにとらわれることになりませんように。主イエス様がわたしの心の思いを見て、間違いがあったなら、正してくださいますように。それから、今後の礼拝の場を、圧迫なく、霊とまことの礼拝をできる場を与えてくださいますように。」と切に祈りました。すると、B教会の地域での集会(とある会館の会議室を借りておられた)に導かれたのでした。

 全く異なる教派のようで、迷いもありましたが、B教会で聞いたメッセージでの信仰の面での熱心さに打たれました。命をかけてもつらぬく信仰、迫害の時にも共に労苦していける(信頼関係が結べる)兄弟姉妹のいる教会、それがうるちゃんの願いでした。

 年が明けて、初めて、本教会のある区に行ってみました。いろいろな違いに多少の戸惑いを覚えましたが、メッセージの最後に年輩のB主任牧師が、子供時代に父親が戦時中の迫害にあって投獄された話をされました。その迫害の話がうるちゃんの祈った祈りに合致したのでした。B主任牧師は、ペンテコステ派の信仰が嫌いでしたが、とりあえず、行き場のないうるちゃんを、受け入れてくださいました。

 このB教会を知ったのは、「羊を奪う者の手から、羊を守ることになる。」という思いをいただいた10月18日(金)、はづきさんの家庭集会に行く途中でした。信号待ちが長かったため、気分的にいつも通らない道を通ったのでした。あるところで、何気なく奥の方に並んでいる看板が見たくなり見ると、“キリスト”の文字が飛び込んできたのでした。「今、何か見えたような…」と思い、自転車でしたが、戻って見直してみると集会の案内でした。「へー、教会が新しく出来たんだ。」とうれしくなって、家庭集会に集った人たちに言ったことを覚えています。後でわかったことですが、その会館では、10月に集会を開いたばかりで、うるちゃんが見たその日に看板を出したということでした。

 教会を出る時、いろいろな葛藤がありました。牧師に逆らうと、死んだ人もいるとメッセージの中で実例で聞いていたことや、ヘブル 13:17「あなたたちの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。」もさんざん聞き続けてきた結果でした。A教会を出てしばらくは、教えの混乱があり、心の傷もあって、癒されたと自覚するまで、一年半かかりました。違和感ある教えは半分本気で聞いていなかったつもりだったのですが、混乱が起こったので、軽いマインド・コントロールにかかっていたと言っても過言ではないと思っています。

 B教会の礼拝から帰ってくると、韓国旅行(10月にはづきさんと謝罪個人旅行に行っていました)で知り合ったLeeさん(宣教師夫人でオーストラリアに行かれた)から小包と手紙が届いていました。何も言わないのに、うるちゃんたちと別れて(10月14日)からずっと、A教会とA牧師のことについて祈ってくれていたことを知りました。それから4日後に家庭集会で「羊を奪う者の手から、羊を守ることにもなる」という言葉を受け取り、それから2か月で教会にいられなくなったことを考えると、起こるべくして起こった主のみわざなのかなと思いました。贈り物と手紙に慰められ、主はいろいろな方法で、愛する子供たちを慰め、励ましてくださるんだなと改めて思いました。
国境を越えた主の働きと祈りの一致…
                                                 ※ 下線部の記事

 救われてから、家で家庭集会を月に一回していました。A牧師夫人に「集会を続けていたら、人は集まるものよ。」と励まされながら、続けていました。救われてから3年間の間で、引っ越しが2回。3つの家で集会を持ったわけですが、どういうわけか人が集まりかけると、引っ越しになるのでした。次第に食事の準備など負担になり、家庭集会を開く前に、下地を作り、人脈を作ることが先決だと思えてきたのです。家庭集会といって構える前に、気楽な気持ちで交わりから作って行きたいと思い、ちょうど、仕事が忙しくなってきたことから、しばらく、やめたいと申し出ました。婦人会に、小さな子供を連れて行きにくい風潮もあり、なかなか出られなくなったことと重なって、A牧師には、奉仕不足、不従順と取られていたこともA牧師の言葉で知りました。

 A教会にいられなくなる1年前から、みことばを学びたくて、神学校へ行きたいという思いが与えられました。子供がいて、制限があるので、夜間の時間は割けないことから、通信の学びにしようと思いました。以前から神学校へ行きたいという人が出ても、A牧師自身が一人の宣教師からマンツーマンの教育を受けていたため、A牧師から許可がもらえず、教会を去ったり、あきらめたりしている人が多いことは聞いていました。うるちゃんは、たまたま家族でA牧師と共に食事する機会が与えられて、その時に相談すると、軽く「いいよ。」と言ってくださっていました。へいわくんが、「1年待ってその情熱がまだあればやってみたら。」と言うので、1年待ったのです。講解書を読み終わるのも1年後くらいなのでちょうど良いと思っていました。1年たった今、仕事も来て、神学校の金銭的必要も満たされそうになっていたところの今回の出来事でした。このことがあって、A牧師に「礼拝のメッセージだけで神学校はいらないという人もいるんだ。」と言い渡され、牧師の推薦がないため、道が閉ざされてしまったのでした。今は、道が開けるように祈るしかありませんでした。主には不可能はないことを信じ…。

 1月7日(火)、うるちゃんの住まいの近くのB教会の家庭集会(Bハイツの家庭)に初めて集いました。賛美の時、「何か、大きな傷を受けた羊がイエス様のひざもとにきて慰めを受けている。」ような幻が見えました。映像で見えたのは2度目でした(1度目についてはまたいつか)は。それがあなただと心に響いてきました。Ansoku正月に帰省先の大阪の教会で見た絵が同時に思い起こされました。それは、崖に落ち傷を受けた一匹の羊を羊飼いが助けている絵でした。その絵の続きのような幻でした。メッセージは主の安息のメッセージでした。あまりの的確さに(まだ何も相談してはいなかったのですが)驚きとともに、傷が癒されていくのが感じられました。異言を受け入れていない教派にもこのような霊的な(預言的なメッセージを語る)信仰があることを知りました。越してきてから、あることが示されて、ずっと近所のBハイツ周辺のことについて祈っていたのです。今、Bハイツに導かれたのも偶然ではないような気がしました。

 先は見えませんが、一歩一歩、主と共に歩んでいくだけです。
救われて間もなく与えられたみことば、「キリストが分割されたのですか。あなたは人や教会につくのではなくイエス・キリストにつくのです。(Ⅰコリント1章)」に励まされながら。

 A教会を出て、2ヶ月たった2月、未信者の時から9年間仲良くして、うるちゃんにイエス・キリストを紹介してくれたはづきさんと別れることになりました。うるちゃんはB教会の家庭集会に来ていたB1牧師(主任牧師の息子の牧師)に相談することにして、時間を予約していました。そのことをはづきさんに話していたのですが、はづきさんは、うるちゃんの気持ちがわからなかったのか、先に話をしようとうるちゃんとの約束より少し早くB1牧師を訪ねたのです。はづきさんはうるちゃんのためを思ってお世話のつもりだったのかもしれません。B1牧師の信用をも無くしてしまいそうな行為に、余裕がないうるちゃんは距離をあけたく「来ないで!」と強くいってしまいました。その後、はづきさんはA牧師に謝ってA教会に戻りました。教会を離れられなかった彼女は、うるちゃんとの付き合いができなくなりました。また、うるちゃんは、A教会で出来た友人をも次々に、失ってしまうことになったのです。

 A教会での交わり(ともに食事をしたり、家庭に招き合ったり、集いを持ったり)は、すごく楽しく、刺激があるものでした。国内外からのメッセンジャーも多く来訪し、オープンな教会でした。だからこそ、一生の兄弟姉妹のつながりだと信じていて、多少のおかしさは、完全な人間はいないという言い訳をのみ、必ず祈りで変わっていくと信じていたのです。この交わりを失うことは、とてもつらいことで、「みこころならばいつか、再び、主が戻してくださる」と委ねて、後にしたのでした。そう思ったのは、教会で個人的になされた預言があったからということもありました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

うるちゃんが受けた預言とは?   つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ★ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)

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