楽しい教会~小羊うるちゃん物語へのコメント~

以下に記載したQ&Aは、小羊うるちゃん物語のコメントです。

   A教会での交わりは、すごく楽しく、刺激があるものでした。100名以上の信徒がいるそこそこ大きい教会だったこともあり、孤立しがちな育児の時期でしたが、寂しいと思うことはなく、充実していました。だからこそ、居場所を失うことは、とても苦しいものでした。数年間は、12月19日が来るたびに、フラッシュバックのように、落ち込むことがありました。
「教会の交わりはすごく楽しく、熱くなる」カルト的な組織や異端と呼ばれている組織にいる方の口からも同じことをよく聞くのじゃが、それらは、主にあって大事なことではなく、むしろ、他の否定的なものを押し込めてしまい、内部に悪いことがあっても離れなくなる要因になっていく。
人をコントロールしようとすると、人は意識的に、または無意識的にも、飴と鞭を使い分けることがある。初めのうちは、教会や牧師に権威付けをし、依存させる性質を持たせるため、愛を降り注ぐ(「ラブ・シャワー」という)ことは、マインド・コントロールの手法でよく言われていることじゃ。その行為が、愛から出ているのか、別の目的から出ているのか、本当の愛というものは、そんなに簡単にはわからないものじゃ。主イエスが、十字架にかかられるまで、人間は、神の愛がわからなかったのだよ。
うーん、考えさせられますね。
キリストというお方は、本当の愛を求めている人には、人や組織から拒絶されたとしても、自ら探し出して、導いてくださるお方じゃ。イエスに癒された生まれつきの盲人だった人が、ユダヤ人たちから追い出された時に、見つけ出してくださったように(ヨハネ9:35)
そして、よい牧者は、信徒が何を求めているか、よく見て聴き取って、必要なお世話をするものじゃ。牧者というのは、「牧する」者じゃからな。また、よい牧者は信徒が平安に、自分の足で主イエスと共に歩めるように、キリストなる神のことを教え、神なるイエスを指し示し、その道に導き世話をする。そうでない牧者は、自分につけ、自分に依存させるように(不自由なもの)、導く。
「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)とあるとおりじゃ。
だからこそ、信徒は、牧師について愛をもってよく祈り、聖書と聖書の神をよく知り、見極め、相手が誰であってもキリストの愛に立った適切な行動をすることが大切なんじゃ。
ちょっとしたズレをそのままにしていると、だんだん大きくなって、いつか爆発する、そんな感じでした。主の栄光にならないような我慢はするもんじゃないですね!
カルト化というのは、指導者だけで成り立つものではなく、盲目的に信じる信徒と両者があって、できあがるものなんじゃ。双方が、しっかりと神にあって、悔い改め、方向転換することなしには、治まらない問題じゃ。
・・・はい、そのとおりですぅぅぅ💦

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