魔術師シモン

 使徒の働き8章5節~25節に、魔術師シモンのキリスト教徒への改宗の記事が描かれている。

 このシモン・マゴスは、以前から魔術を行なって、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。(使徒 8:9) サマリヤの群衆は、ピリポの行なうしるし(癒しや奇跡)を見て、みなそろって、彼の語ることに耳を傾けた。(使徒 8:6)
ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じたサマリヤの人々は、男も女もバプテスマを受けた。(使徒 8:12)
シモン・マゴス自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行なわれるのを見て、驚いていた。(使徒 8:13)

 ここまでは、まだよかったかもしれない。
ある日、信じたサマリヤの人たちのもとに、エルサレムから使徒ペテロとヨハネが送られた。
ペテロとヨハネが、サマリヤの信者たちに、聖霊を受けるように祈り、手を置くと、サマリヤの信者たちは聖霊を受けた(感覚だけではなく、他の人たちの目にみえる現象があった)。
今まで見たことのない現象を見たシモン・マゴスは(しるしやある程度の奇蹟は魔術にもあっただろうが)、使徒たちのところに金を持って来て、「私が手を置いた者がだれでも聖霊を受けられるように、この権威を私にも下さい。」と言った。(使徒 8:18,19)
この後、シモン・マゴスは、お金で聖霊の賜物を買おうとしたことで、ペテロの叱責を受け、「あなたがたの言われた事が何も私に起こらないように、私のために主に祈ってください。」と懇願した(使徒 8:18-24)。

 シモン・マゴスについて、聖書は、ここまでしか書いていない。
ただ、「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後…」(使徒 8:25)と使徒たちが主をあかししていったということだけが書かれている。
罪について甘く見てしまうなら、ペテロの言った「この悪事を悔い改めて、主に祈りなさい。あるいは、心に抱いた思いが赦されるかもしれません。」(使徒8:22)という言葉をもって、この後、シモンは悔い改めて信仰を送った、めでたし、めでたしとしたいところである。

 しかし、その後、シモン・マゴスは真理から外れてしまったのである。
「彼は、必ずしも、完全なグノーシス主義ではなかったが、 教父たちはシモン・マゴスを異端の父、いくつかのグノーシス主義の産みの親、初めてグノーシス主義の要素をキリスト教に結びつけた人物とみなしている。 彼は、「偉大な啓示」というグノーシス主義の文書の著者とされている。シモン・マゴスは、サマリヤ人のメシアになったのみでなく、シモンは第一の神、 あるいは至高神と自称しさえしたという。シモン・マゴスが起こした宗派(セクト)の一つはシモン派と呼ばれ、世界を救うためにシモンはこの世に来た、と主張した。

(「異端の歴史」D・クリスティ=マレイ著 教文館発行 39-40頁)

 ※ キリスト以前からあり、キリスト教にも取り入れられた異端に、グノーシス主義があった。 これは、「ギリシア、ユダヤ、オリエントの思想を吸収したもので、物質界は悪であるので、善なる神が物質界を創造したことはありえない、 堕落した霊的存在であるソフィア(知恵)の子供が物質界を造ったのである。そして、救いは、信仰と愛だけで得られるのではなく、 哲学的知識や直感、魔術的儀式や教え、秘密の知識の伝授によって得られる。」というものである。

 改めて、シモンの懇願のことばをよく見てみよう。「私に起こらないように」「私のために」自己中心の内容である。しかし「自己中心→神のみこころに」というのは、信じた誰もが通る聖別の道であり、聖められる可能性もある。そのため、ペテロは助言している。が、彼は、結局、主というお方を知ることができずに、真理から外れてしまったのであった。
 シモン・マゴスのように、キリストを信じても、悔い改めに向かわず、欲に支配されるなら、主ご自身を否定する異端を生み出す危険がある。

「しかし、イスラエルの中には、にせ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、にせ教師が現われるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。そして、多くの者が彼らの好色にならい、そのために真理の道がそしりを受けるのです。また彼らは、貪欲なので、作り事のことばをもってあなたがたを食い物にします。彼らに対するさばきは、昔から怠りなく行なわれており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません。」(Ⅱペテロ 2:1-3)

 「キリスト教異端派の創始者には、どれほど小さい宗派(セクト)でも必ず、正しいのは自分であり、既成の教会は、 誤っていることを時が証明するであろうという同じ期待がある。」

(「異端の歴史」D・クリスティ=マレイ著 教文館発行 20頁)

 聖書にも、異端的教えは見られる。
割礼や律法に従うことも強いずに、異邦人キリスト教徒を受け入れていたパウロに反論して、ユダヤ人キリスト教徒は、「割礼と律法の遵守を行わなければ、救われない。」という主張を立てた。 これが、激しい論争となったので、エルサレム会議を開き、『聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。』」(使徒 15:28,29)という決定を下した。

 このユダヤ人キリスト教徒の系統は、パウロの死後数世代間、4世紀か5世紀に至るまで、教会内部の少数の異端者として存続していた。

(「異端の歴史」D・クリスティ=マレイ著 教文館発行 29頁)

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