苦しみは幸せの通過点

「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。」(申命記 8:2)

奴隷であったエジプトから数々の奇蹟をもって贖い出されたにもかかわらず、民はちょっと不安になると、ぶつぶつ不平不満を言った。
その不信の罪のため、四十日で着くような荒野の道程を四十年の間をかけることとなった。
人の親がその子を立派な大人にする目的をもって訓練するように、主は民を守りながら、訓練された。
事実、主は、蛇やさそりといった危険な生物から民を守り、のどが渇いたと言えば水を与え、お腹がすいたと言えばマナを降らせ、肉が食べたいと言えばうずらを向かわせてくださったのである。
その愛に応えて、信仰によって従ってくるようにと、訓練の中で内なる信仰を引出すことが、主の目的であったのである。
この後に、こう言い換えられている。「それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった」と。
苦しみは「滅ぼすため」ではなく、「しあわせにするため」のものと言われている。
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今、試練の中で苦しんでいるならば、主を離してはいけない。
「しあわせにするため」という目的があるのだということを信じよう。
そして、祈りつつ、耐える力をいただいていこう。
「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。」(ヤコブ 5:13)
苦しみを抜けた時に、以前より成長した自分が、喜び笑っている。

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