神の律法

「父親が子どものために殺されてはならない。子どもが父親のために殺されてはならない。人が殺されるのは、自分の罪のためでなければならない。」(申命記 24:16)

律法には、いろいろこと細かな規定が書かれている。
これは、「~しなければならない。」とあるからと盲目的に従うことを求めておられるわけではない。
このみことばだけ見ると、「罪があったら、殺しは許されるのかぁ」となるところである。
が、十戒の「殺してはならない。」(出エジプト 20:13)を無視してはならない。
「みことばの矛盾?」で書いたように、聖書には矛盾のように書かれている場合が多々ある。
神をよく知り、その愛に立つことが大切である。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということわざまでもがあるように、憎さのあまり、それにつながる者までも憎んでしまうのが人間の生まれながらの罪の性質である。
殺しを許容されているわけではなく、その性質をよくご存知の神さまが出した規制の命令である。
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神は恐れあがめられるべきお方である。
しかし、その前に、「神は愛である」という大前提があることを忘れてはならない。
「殺してはならない」と言われる神が、御子を私たちの贖いのために、殺させ給うたのである。
それほどまでに、私たちを愛し、神の子としてくださったのである。
罪から離れ、神の愛を信じ、大胆に主に近づいて歩んでいこう。

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