モーセの過ち

「モーセとアロンは岩の前に集会を召集して、彼らに言った。『逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。』モーセは手を上げ、彼の杖で岩を二度打った。すると、たくさんの水がわき出たので、会衆もその家畜も飲んだ。しかし、主はモーセとアロンに言われた。『あなたがたはわたしを信ぜず、わたしをイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。それゆえ、あなたがたは、この集会を、わたしが彼らに与えた地に導き入れることはできない。』」(民数記 20:10-12)

 モーセという人物は、主が顔と顔とを合わせて選び出され、「モーセのような預言者は、もう再びイスラエルには起こらなかった。」(申命記 3:14)と言われた信仰者であった。

 「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」いきなり、この言葉だけを聞くと、そこに神である主は見えず、ひどい言葉である。
この前に、主である神は、モーセに言われた。「杖を取れ。あなたとあなたの兄弟アロンは、会衆を集めよ。あなたがたが彼らの目の前で岩に命じれば、岩は水を出す。あなたは、彼らのために岩から水を出し、会衆とその家畜に飲ませよ。」(民数記 20:8)と。
モーセは、主に命じられたとおりに、杖を取ったが、主の言われた「岩に命じる」ことはせず、杖で岩を打ったのであった。しかもしっかり二度…。

 「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」(民数記 12:3)モーセが上記のような言動をした原因は民にあった。
エジプトを出てすぐに、パロの追っ手を見た民は「荒野で死なせるために、私たちを連れだしたのか。」とモーセにくってかかった。
その後も民は、「パンが食べたい。飢え死にさせるのか。」「水がない。渇きで死なせる気か。」「モーセが山から降りてこない。私たちを導いてくれる神を造ってくれ。」「マナには飽き飽きだ。肉が食べたい。」…と、神のみわざを見ながらも、ぶつぶつ不平不満を言いつづけ、時には、モーセを石で打ち殺そうとまでしていたのであった(出エジプト 17:4)

 そういう中で、モーセの忍耐が切れたのか、モーセは主を超えて、民に言った。「逆らう者たちよ。さあ、聞け。この岩から私たちがあなたがたのために水を出さなければならないのか。」

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 モーセは神に用いられた信仰者であったが、神自身ではなく、神のようにふるまえる権限はなく、岩から水を出されるのは、神であった。
原因は民にあり、非情のようだが、この一つのことで、モーセは、「主である神をイスラエルの人々の前に聖なる者としなかった。」という理由で、約束の地カナンに会衆を導き入れることはできず、約束の地に足を踏み入れることができなかったのである。が、不平不満をぶつけてくる民を、これ以上導くことからは解放されたのであった。

 モーセの役割は、民の前に、主である神を正しく示し、牧することであった。
私たちは、ここから、何を学ぶだろうか。主は忍耐を試され、私たちは人間の限界を知り、さらにへりくだりを学ばされる。

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