聖書の訳について

聖書には、さまざまな訳がある。日本語だけを見ても、協会が訳したもの、個人が訳したもの、いろいろ出版されている。
聖書の原典は、旧約聖書はヘブル語、新約聖書はコイネーギリシャ語で書かれている。
原語が母国語のように理解できるのが一番であるが、原語はある程度は学べるだろうが、残念なことに一般人には読むこともできない言葉である。
聖書を用意しようとするなら、教会での聖書の読み合わせのために、属した教会で使用している訳を使うのが一番だろう。教会に行っていないならば、一般書店に売っていて、現代の言葉で書かれた読みやすいものならば、問題はないだろう。但し、一部の団体だけで使っているような訳もあるので(例えば異端の訳)注意が必要である。

もともとの原語は、奥が深い豊かな意味を持つこともあり、一つの訳だけでなく、比較して理解を深めるのがよい。
かつて行った教会では、戦前から受け継がれてきた文語訳を使用していて、これが一番だと言われていて、厳粛な気持ちになり、味わい深い響きではあったが、現代人や若者には意味が伝わりにくく、古典文学のようだった。
それでも、教会に合わせて文語訳に変えたほうが良いのか悩み祈った時、「聖書の訳でどれが一番だとか競うのは、愚かなことである。一番というならば、ヘブル語とコイネーギリシャ語で読まなければいけなくなる。それでは読めないし、頑張って読めたとしても意味が分からないだろう。スッと心に入り、神を知ることが一番大事である。」と心に響く言葉があった。人が言うことに合わせて変えたほうがよいかという悩みは消えたのであった。
そのため、「現存の聖書では訳がよくないので、聖霊や天使から新しい訳の聖書を作れという啓示があった」と言われて大金を集めているというようなことを聞くと、惑わしの言葉に聞こえてくる。
いくつかの訳が補い合っているので、現存の聖書で理解するのに十分である。
なによりも大切なことは、聖書の神をゆがめずによく知ることである。

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