仕えあう心で

「私は言った。『私はもう、あなたがたを飼わない。死にたい者は死ね。隠されたい者は隠されよ。残りの者は、互いに相手の肉を食べるがよい。』」(ゼカリヤ11:9)

曲がったものはますます曲がってそれていく。
そのような時代である。
「知識と知恵を得ていると慢心する者は、わたしに聞こうとしない。
 プライドと妬みがわたしの語る言葉をさえぎる。
 悔い改めよ。恵みのある内に。
 それて戻ろうとしない者は、互いの肉を喰らって滅びに向かう。
 わたしはそれを望んではいないが、彼らがその道を選んだのだ。
 わたしは用いたいと思う者を用いる。」と主は言われている。
悪も主の御手の中で、主が道具として使われる。
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主に用いられることは、光栄なことかもしれないが、それよりも大切なことがある。
主にあって、どんなときも感謝しよう。
へりくだって、主のことばを受け取ろう。
いつの時も、主を認め、仕えあって行こう。
恵みは高いところから、低いところに流れる。

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