<– 前の記事:「小羊うるちゃん物語」part 5-6 預言?
【Part5の登場人物】
うるちゃん : 主人公
へいわくん : 夫
なごみちゃん : 長女
サイエン君 : 長男
はづきさん : 友人
A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
友人Nさん : なごみちゃんの幼稚園のママ友
友人Iさん : A教会で出会った友人
Gさん : エホバの証人に入ったばかりの女性
Tさん : バプテスト教会の知人女性
S牧師 : A教会に来た同盟教団の牧師
K宣教師 : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師
B主任牧師 : B教会の主任牧師
Leeさん : 韓国旅行で知り合った宣教師婦人
B1牧師 : B教会の主任牧師の長男である牧師
S師 : 日本に預言の働きを導入した外国人
有名人のNさん: A教会の信徒
S.S女史 : A教会に来た外国人の「預言者」
——————–
1996年8月、へいわくんが韓国へ出張に行きました。出張が決まってから、うるちゃんは「子ども達も夏休み中なのでついて行けないかな? 世界で一番大きいと言われているY教会へ行きたい…。」と言っていたのですが、日にちが東京リバイバル聖会と重なっていることと、導きがなかったこととで思いは消えていきました。
出張に行ったへいわくんが出張最終日にホテルに戻ってくると、テーブルの上に一泊無料宿泊券が置いてあったそうです。フロントで聞くと「プレゼントだ。」と言われ、持ち帰ってきました。ソウル中心部の1流ホテルのエグゼクティブダブルルームで、有効期限は4ヶ月でした。あまり経験したことのないこの宿泊券をどのように用いるのがみこころなのか祈りました。「うるが行くのか、誰かにあげるのか…。もし、うる自身が行くのならば、誰か一緒に行く人が必要です。必要をも満たしてください。」と祈り、数人に声をかけ、待ちました。数週間後、はづきさんが、「夫が『子供たちを見ているから、行ってきたら?』と言った。」と言うのです。Mバイブルキャンプや夏期聖会に行かせるのも渋った御主人が、すんなりと許可してくれたのです。海外旅行にも慣れていず、英語もハングル語もわからない2人でしたが、2人で行くことには平安がありました。
金銭面でも主は備えてくださいました。バブルがはじけてから今までこなかった在宅の仕事の依頼が4、5年ぶりに来たのです。いろいろ外注を当たってみたけど、意にそぐわず、うるちゃんのところまで回ってきたのでした。
人、旅行に必要な金銭が備えられ、次は日程です。子供たちがいるため旅行期間中へいわくんが休みの日の連休でないと行けません。4か月という期限内に可能な日が3回ありました。その中で10/10(木)か 10/11(金)~10/13(日) が一番良いように思えました。10/10 は幼稚園の運動会。休むのには子供たちもうるちゃんも抵抗はなかったのですが、問題はうるちゃんが運動会の役員だということでした。運動会委員のことは、引き受けた際にできない可能性を言って引き受けたこともあり、他と調整できました。はづきさんの幼稚園も運動会でしたが、これも実家のお母さんが来てくださることで、解決しました。
日程が決まると、次は航空券です。ところがすでに一ヶ月を切っているのと、秋の連休ということで、どこの旅行会社もキャンセル待ち。主のみこころならば、備えられると思っていたら、うるちゃんのシャ宅の2階に住むKimさん(韓国人クリスチャン)の行っている教会に韓国の旅行会社をしている方がいるから、手配してくれると言われ、格安でとってくださったのです。はじめは、帰りの便を13日(日)の11時の飛行機にしていましたが、よく考えると礼拝に出られません。「まあ、しょうがないか。早朝の礼拝に出よう。」と思っていましたが、13日だけの臨時便が出来、旅行会社の人の勧めで16時発のその便に変更できたのです。ところが、後ほどその便が、済州島経由になる可能性が出てきました。それだと倍の時間がかかるので、嫌だと思い迷いましたがすべて委ねることにしました。結局、済州島経由になりました。
ホテルの予約もKimさんがしてくださいました(ハングル語が必要)。次はパスポート。本籍の大阪に戸籍抄本を申請したはずが、抄本附票が届き、パスポートの手続きができませんでした。パスポート取得のためと書いて料金を添えて申請したはずが、おつりが入っていておかしいなと思ったのです。もう日にちもなく困っていたところ、電話で料金後払いの速達で送ってもらい、なんとか間に合いました。スーツケースを買えば、鍵が不良で、店に足を運ぶこと2回。ことごとく苦労するのはなぜだろうと思いました。
なぜこんなにも苦労するのか(その都度主の助けがあり、道ができるので)、ただY教会を見てくるだけではなく何か意味があるのか、主に祈りました。すると、「日本が過去犯した罪の謝罪」のことが浮かびました。そういえば、2年前のある導きから、戦時中に日本人がなしたことを知り、はづきさんとうるちゃんは小さいながらもとりなしてきたことでした。また、具体的にどのように謝罪するのかも祈りました。すると、「ハングルで書いたトラクトを持っていくように。」と言われたのです。ハングル語などわからないので、ボランティアに行っていたEHCかどこかで、調達できるのかと思いました。遅く帰ってきたへいわくんに、「ハングルのトラクトを持っていくように言われたのだけど…。」と告げると、「あ-、それなら会社に、日本語の Windowsに対応するハングルのワープロがある。」と言うではありませんか。さっそく持ってきてもらい、取り組んでみました。
※ 下線部についてのコメント
ハングル語のトラクトは、2階のKimさんやはづきさんの幼稚園のChaさんの助けも借りたり、教会の助けを借りたりして、2日前の8日にようやく出来上がりました。
Chaさんの紹介で、日本人の韓国語学科の学生クリスチャンの女性で、韓国にも留学したHさんとも知り合うことが出来、日本人からの立場の韓国の様子も少し聞くことができました。なにしろ、うるちゃんはハネムーン以来2回目の海外、はづきさんに至っては初めての海外、ハングル語はもちろん、英語も中学程度にしかわからない状態でした。ツアーも組まずに、外から見れば無謀と思われてもしょうがないような旅です。でも、不思議に平安でした。祈りの時に、「主が御使いをあなたといっしょに遣わし、あなたの旅を成功させてくださる。」(創世記 24:40)というみことばを示されたからでした。
1日目。飛行機に乗り、順調に出発しました。日本を出て東シナ海上空に来た頃、腰に何か感じました。別に気にも留めなかったのですが、ソウル空港を出ると、それが痛みに変わり、夜には激痛になりました。空港へ降り立つと、日本語が通じないことや腰が痛みだしたことから、少し恐れがやってきました。すると「ひるんではいけません。恐れずに行きなさい。わたしが共にいます。」という言葉が心に響きました。平安を取り戻し、リムジンバスに乗りホテルへ行きました。ホテルまではタクシーで、と思っていたのですが、飛行機で隣席になった韓国人ビジネスマンがリムジンバスで行くように勧めてくださったので、バスで行くことにしたのです。そのビジネスマン(ノンクリスチャン)にトラクトを渡し謝罪すると、笑顔で答えてくださり、とても親切にしてくださいました。
次にトラクトを渡したのは、ホテルに行き、エレベータに同乗したポーターのChoさんにでした。Choさんはクリスチャンで、荷物が不自由なら、帰る日まで自分の名前で荷物を預かってくれるとまで言われました。次はホテルの夕食時、笑顔でサービスしてくれた若い女性に。その女性もまたクリスチャンで、気持ち良く受け取ってくださいました。言葉はわからず、海外も初めてに近いものでしたが、トラクトを通じて、いろいろ交流ができました。
腰が痛く、始まったばかりの旅、動けなくなったら大変! それでマッサージを頼むことにしました。フロントで聞くと受け付けの女の子に吹き出され、妙に大笑いされてしまいましたが、なんとか頼むことができました。いまだにこの笑いが何だったのかはわかりません。マッサージに来たのはKanさんと言う目の見えない若い女の子でした。クリスチャンではないということでしたが、話をしていくうちに一度は信じ、洗礼も受けたことを打ち明けてくださいました。とても印象的な女性で、その人のために共に祈ることができました。御両親にでもと、トラクトを手渡しました。
2日目。マッサージをしてもらったのですが、痛みは増していました。声をかけてくれたホテルの掃除係のおばさんにトラクトを渡し謝罪したところ、聖霊によるとしか思えないような(感情ではない)涙が溢れ、言葉は全く通じないのですが、3人で涙を流しながら祈り合うことができました。後で通訳の人が備えられ、話をしてみたところ、長老教会の役員の方で、ずっと日本のために祈っていたようでした。短い時間でしたが、良い交わりも持てました。
腰が痛いといって寝てもいられないので、午前中ははづきさんが行きたがっていたロッテデパートの地下へ。売り場を教えてくれた2人の女の子にトラクトを渡してみました。いちおうクリスチャンだと言っていました。言葉が通じないのですが、キリストの内在の有無の違いがなんとなくわかるような気がしました(気のせいだったのかもしれませんが)。
ホテルをチェックアウトして、とりあえずY教会へ行こうと乗ったタクシーの運転手が、偶然、KanさんというY教会のメンバーの方で、事務室まで連れていってくださいました。そこで親切なガードマン2人にトラクトを渡すと、日本宣教会の人を呼びに行かれました。来てくれた日本宣教会のおじさんに謝罪すると「非常に悪いタイミングの時にきたものだ。政府の問題だから個人的にされても困る。」というようなことを言われ、祈祷院までの手筈をとってくださいました。おじさんの言葉で、逆に話題になっていることなのだと知り、ますます主のタイミングだという気がしました。祈祷院でも数人にトラクトを渡しましたが、だれもが快く受け取り、「わかりました。」と言うのですが、「あなたがた日本人を赦します」と言う人がいないことに気付きました。ちょうど持ってきた本に、2国間の壁を除くのは2国双方の告白が必要だと書いてありました。腰痛の癒しも祈りましたが、主は「癒されるのにも時がある。」と言われるだけでした。韓国へきてからの腰痛と頭重感と戦いながら、「あなたがた日本人を赦します」と言ってくれる韓国人クリスチャンとの出会いと、当時の身近な体験を持つ方との出会いを祈って眠りにつきました。
3日目。「腰を伸ばせば、痛みは消えます。」という語りかけで目覚め、腰を伸ばしてみました。鈍い重さは残っていましたが、夜中にもあった激痛がなくなっていました。Y教会の前のホテルに泊まるつもりで、祈祷院を出ることにしました。9時半のバスに乗るつもりが遅れて10時に乗ることになりました。ベンチでバスを待っていると、一人の女性が話しかけてきました。「Are you Filipina ?」(昔からよく東南アジア系の顔だと言われていたが……。)Y教会の奉仕者、Leeさんとの出会いでした。トラクトを渡し謝罪して、「私たち日本人の犯した罪を赦します。」と言ってもらうことができました。時計を見ると10時になっていて、そこで初めてバス乗り場の場所が違うことを知り、別れもそこそこに立ち去りました。結局バスにまたもや乗り遅れ、11時のバスになってしまいました。バスを待っていると一人のおばあさんがやってきました。片言の日本語の会話でわかったことは、お兄さんを日本人との戦争で亡くし、慰安婦を危機一髪のところでまぬがれた知人を持つ方ということでした。更に、「昨晩の祈祷院でのメッセージは、日本人を赦すという内容のもので、たくさんの方が涙ながらに赦しを取り扱ってもらった。あなたたちだったのね。」とも言われ、主の御手を感じたのでした。そのおばあさんと、涙で祈り合い、謝罪と許しの告白をすることができました。
やっとバスが来て乗ると、先程のLeeさんが乗っていました。バスの中で話しているうちに午後の行動を共にすることと、夜、泊めていただくことになりました。先ほど予約したホテルはキャンセルしました。Kanさんのタクシーを呼び、西大門の独立公園の資料館へ行くことになりました。そこは、戦争時の日本の行為の写真や蝋人形があるところでした。3階建ての中に入ると奥に行くにつれて怨念としか表しようのない憎しみと赦せない思いを抱かせるような圧迫感を強く感じ、吐き気と頭痛がしてきました。Kanさんは急に不機嫌になり、怒ったように早々と出ていってしまっていたので、残ったLeeさんとはづきさんとうるちゃんの3人、つき動かされるように資料館の中で祈りました。赦しの告白と祈り。祈り終わった時の平安は心地よいものでした。このような資料館は、韓国の人にとっては、憎しみをもたらすためのものでしかないことを感じました(日本人にとっては何かがあったことを知るために必要なものですが)。資料館の前で出会ったクリスチャンの学生5人ぐらいに謝罪したところ、すがすがしく受け入れてくださいました。
夜はLeeさんの家へ。Leeさんの御主人は5千人の教会(Y教会ではない)の牧師でした。夜、Leeさんの友人が会いに来てくれて、共に賛美し(言葉は片言の英語しか通じなかったので、ハングル語と日本語で共通の聖歌を数曲歌い)、祈り合い、良い交わりをもちました。Leeさんは3ヶ月前の祈りの中、幻で日本の国旗を見ていたことも話してくださいました。手厚いもてなしを受け、翌朝Y教会へ。夜、寝る前、再び腰痛が戻ってきました。
4日目。9時の礼拝に出席。人数の多さとオーケストラによる賛美が印象的でした。礼拝が終わり、Y教会のポーチで絵が売られていました。そのまま歩いていくと、このような場所にいるはずもない鳥が一羽、まわりを人が取り囲んでいました。山鳩の雛のように見えるその鳥がやけに印象的でした。トイレにはいると次々に人が来て、ぼんやりしているとトイレにも入れない状態でした。エレベーターに乗ろうとしても、われ先にと人がつめかけ、意気込まないと乗れないような状態。腰の痛いうるちゃんは、これが世界一の教会の姿なのかなと、気がつくと涙が出ていました。世界一の教会で主は、さまざまなクリスチャンを見せてくださいました。飛行場で数人にトラクトを渡し、飛行機へ。済州島では何が起こるのか、どんな人と出会うのかと楽しみにしていたら、乗ってきたのははづきさんの隣も、うるちゃんの隣もカジノやゴルフを楽しんできた日本人男性。何か意味があるはずだと、イエス様を伝えてみました。
2人とも、イエス様の話を聞くのは初めて。まわりの2、3人の韓国人にトラクトによる謝罪をして日本に着きました。飛行機に乗る時、「日本にきたら、腰が癒されてたりして…。」と冗談半分で言っていたら、成田に降りて気がついてみると、激痛も、重さもなくなっていました。「なんだったんだろうね。」と言いながらも、これは主の赦しの中での出来事であったのだと改めて思いました。
帰りはリムジンバスで家の近くの駅まで、後はタクシーで家へ。1本前までのリムジンバスは工事のため大幅に遅れて時間がかかったみたいでしたが、うるちゃんたちの乗ったバスは、予定より1時間も早く着いただということを、乗ったタクシーの運転手の話で知りました。その運転手さんに韓国へ行った話をして証しを少し。その方は名ばかりの創価学会員ということでした。トラクトを渡し、帰宅。
言葉がわからないなりに、ガイドブック片手に前向きに会話を取り組み、うるちゃんの重い荷物をも運んでくれたはづきさんが行けなかったなら、このような旅にはならなかった筈です。姉妹間の愛と霊の戦い方…、この韓国での学びを終えて、どんなときにも主は共におられることを実感しました。また、自分にとってどんないやな言葉であっても、うるちゃんの心に響いてくる主の声の確かなことも知ることができたのです。今まで主の言葉だと確信しても、でも本当に?と疑いを持つことが度々あったのです。
次週のA教会での礼拝は、備えられたように、韓国のM.S.牧師夫妻がメッセージのために来られていました。お父さんが戦時中日本軍に迫害にあった牧師でした。日本に重荷を持って、初めて日本での奉仕の時(甲子園ミッションでの指揮)、日本へ来る飛行機の中で、腕が上がらなくなり、舞台に上がったとき、主の力が臨んだという証しをされました。腰が痛くなって、独立公園へ行く3日目だけ、腰が痛くなかったうるちゃんの体験と通じるものがあり、主のすばらしさを改めて実感しました。そしてこの旅が、目には見えなくても主が何かをされたのだということを、信じることができたのです。(この日、7月に行ったMバイブルキャンプでみんなに呼びかけて天気を祈ったときのことが他の人の信仰の励ましとなったことを1枚の印刷物で知ることができました。・・・キャンプ中、キャンプファイヤーを控え、午後からだんだんと雲行きが怪しくなってきて、今にも雨が降り出しそうな空模様になってきました。うるちゃんは、楽しみにしていた子ども達を思って、周囲の人たち一人一人に呼び掛けて、集まった皆で共に祈りました。祈っていると、だんだんと雲が分かれて青空がのぞき出し、キャンプファイヤーを始めたときは、星まで見える空になりました。そのことをMキャンプの会報に、心を合わせて祈った時の「恵み」として証を投稿した方がいて、この日、教会で教えてくれた人がいました。)
初めから主が計画され、うるちゃんたちはただ主に従って、主の後をくっついて歩いて行っただけなのです。ただただ、主はすばらしい…としか言いようがありませんでした。
この2か月後に、起こることをうるちゃんは、まだ知りませんでした。
——————–
【うるちゃんと教会】
★ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会
☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
——————–
「小羊うるちゃん物語」の登場人物まとめ
うるちゃん : 主人公
へいわくん : 夫
なごみちゃん : 長女
サイエン君 : 長男
はづきさん : 友人
N師 : はづきさんを導いた女性
H牧師 : H教会の牧師
A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
Kさん : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
友人Nさん : なごみちゃんの幼稚園のママ友
友人Iさん : A教会で出会った友人
Gさん : エホバの証人に入ったばかりの女性
Tさん : バプテスト教会の知人女性
S牧師 : A教会に来た同盟教団の牧師
K宣教師 : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師
B主任牧師 : B教会の主任牧師
Leeさん : 韓国旅行で知り合った宣教師夫人
B1牧師 : B教会の主任牧師の長男である牧師
S師 : 日本に預言の働きを導入した外国人
有名人のNさん: A教会の信徒
S.S女史 : A教会に来た外国人の「預言者」
M.S.牧師夫妻 : A教会に来た韓国の牧師夫婦
–> 次の記事:「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-1 B教会へ
コメント