「なぜなら、神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。
これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。」(伝道者の書 2:26)
SさんとOさんは友だちであった。
Sさんは社交的で明るい性格で、いつも人の中心にいた。
Oさんは物静かで、消極的であった。
やがてSさんは、ある出会いがきっかけでクリスチャンになった。
そしてSさんの影響を受け、Oさんもクリスチャンになった。
Sさんは、持ち前の社交性で、どんどん伝道し、何人もの人が救いを受けた。
Oさんは、主を知るために、聖書をよく読み、祈った。
やがて、Sさんは消極的なOさんを見下し、「私は10人もの人を救った。」「実を結ぶかどうかが大事だよ。」と自慢するようになった。
そういわれる度に、いまだ人を救いへ導けていないOさんは、心揺り動かされ、祈るのであった。
「主よ、私にも霊の子を与えてください。」と。
Oさんは知らなかった。Oさんの祈りで、どれだけの人が神のもとに来たかを。
そして、Sさんの導いたどれだけの人々が、Sさんを通して見る神につまずいていったかを。
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人を救われるのは、聖霊なる神の働きである。
神は、必要に応じて、人を用いて下さる。
救いは、神と人の共同作業である。
しかし、思い違いしてはいけない。神は必要ならば、ろばの口をも開かれ、用いられるお方である(民数記 22:28)。
「実を結ぶ」は、御霊の実を結ぶ意味である(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)。
私たちにできることは、主を信じて従い通すことだ。
主は知恵と知識と喜びを与えて下さり、その知恵や知識や喜びによって、人は神を知り、ゆるぎのない信仰へと導かれる。
みこころに従った歩みを心がけていこう。
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