罪に対する悲しみ

「あなたが、この場所とその住民について、これは恐怖となり、のろいとなると、わたしが言ったのを聞いたとき、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。――主の御告げです――」(Ⅱ列王記 22:19)

宮の破損を修理しようとした時に、宮で見つかった律法の書。
ヨシヤはそこに書かれたことに衝撃を受けた。
律法に従わなかったために、自分たちに向かって燃え上がっている主の怒りを知り、女預言者フルダのもとにみこころを求めに、使者を遣わした。
フルダは、主の怒りは消えることがないと語ると同時に、へりくだったヨシヤへ、主のあわれみのことばを取り次いだのであった。
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自分たちに語られる罪とさばきを真摯に受け止め、嘆き悲しむことは、罪の性質を持つ私たちにとって、たやすいことではない。
信頼とへりくだりを要することだ。
「みんなやっているじゃないか」とか、「これくらいいいじゃないか」とか、「そう言うお前だってあんなことをしたじゃないか。」とか言い訳するのが、肉にある私たちである。
罪にマヒしないための予防法は、罪に対して嘆き悲しむ心を失わないことである。
ヨシヤは罪に対し、「先代までの王がもたらしたものだ。」「父アモンや祖父のマナセが犯したことで、仕方がない」とは言わず、自らの罪として心を痛め嘆いたのであった。
その心を主は喜んでくださった。
罪に対する嘆きを忘れないようにしよう。

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