「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-番外編 へいわくんの父の死を通して

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【前回までの登場人物】
   うるちゃん      : 主人公
   なごみちゃん     : 長女
   サイエン君      : 長男
   はづきさん      : 友人
   マーサさん      : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
   A牧師        : A教会の牧師
   Kさん      : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
   K宣教師(夫人)  : A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
   W宣教師       : W教会を開拓した宣教師
   B主任牧師(夫人): B教会の主任牧師(夫人)
   B0牧師       : B教会のB主任牧師の父親である先代牧師
   B1牧師       : B教会の主任牧師の長男である牧師
   B2伝道師      : B教会の主任牧師の次男
   M牧師        : B教会の女性牧師
   Eさん        : B教会の信徒の女性
   Dチャプレン     : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
   Mさん      : トラクト団体で一緒だったクリスチャン女性
   Uさん      : マーサさんの友人の求道中の女性

※ 今回の物語には、一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていない祈り方が記されていますが、聖書にも記されている祈り方です。寛容な視点でお読みください。

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  1995年10月10日(火)体育の日、へいわくんの父が天に召されました。夏、末期がんの診断がくだされてから、聖人の像やマリアを大事にしている昔からの流れのキリスト教徒であった父母の信仰是正に加えて、癌のいやしを祈りつづけていました。父母は2人暮らしで、近くに親類はいず、母の性格上、1人暮らしは無理だと思いました※補足 。祈り続けていると、「子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。…とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が…。」(マタイ 7:9-11 )の御言葉が与えられました。天の父が悪い結果をくださるはずはないと確信しました。容体は思わしくないのですが、父の癒しを信じていました。

 そんなある晩、床につくと、わけもなく心がざわつき、3匹(?)の悪霊と思われる幻が現れました。向かって右のは、小さくて、丸っこくて、異様に大きくぎらぎらした目でこちらをにらんでいるようでした。左は少し大きく、長くて、やはり大きな目でこちらをにらんでいました。真ん中は、奥の方にいて、姿ははっきりしませんでしたが、気配はしていました。まわりは、暗闇で、イエスの御名によって、去るように命じると、幻は消えました。そして、眠りにつきました。眠ってても熟睡できず、ときどき目が覚めるのです。朝、へいわくんの父母の夢で起こされました。すごく、祈りの必要を感じ、父母のための祈りを捧げました。父の病を知らされてから、うるちゃんはときどき、断続的なわけのわからない腹痛を感じていました。時には2~3日続いていました。幻が現れる晩も、腹痛が起こりだし朝まで続いていました。鈍い痛みなのですが、もしかして、父のために親身に祈ることができるように与えられているのかも…と思っていました。祈っていると、強くご聖霊の臨在を感じ、とめどなく、涙が出てきました。「主よ、この腹痛が、父の痛みであり、いやしてくださるのでしたら、このうるの腹痛を取り去ってください。」と祈ったときのことです。急に体に不思議な働きかけがあり、腹痛は治まりました。何が起こったのか、自分でもわかりませんでしたが、途端にイエスさまの愛に満たされ、平安に包まれました。この日以来、腹痛は起こらなくなりました。
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 そのような時、父の危篤の知らせを受け、大阪の父母のもとへ向かいました。ずっと祈っていましたが、いやされないのはなぜなのだろうと思ったとき、以前見た幻を思い出しました。その幻は偶像と関係しているような思いが与えられたので、確かめたところ、実家の祭壇に、3体の像があったのです(後で確認したところ、その時までのうるちゃんは知らなかったのですが、押し入れの中に向かって右にマリア像、左に首から上のイエス像、真ん中の奥には十字架のイエス像があり、仏教の、仏壇の代わりになっていました)※余談1。幻と同じ形状だったので、すぐに、そのための解放ととりなしの祈りを捧げました。神父さんが来ても心を開かなかった父が、へいわくんがイエス様のことについて聞いた時、「イエス様以外の神様は信じる気もないし、イエス様以外の所に行く気もない。」と語ったそうです(父は訳あって、教会から離れていた)。1週間後、へいわくんが一時帰宅するときの父の言葉は、「ごくろうさん。」だったそうです※余談2。それが、へいわくんが聞いた最期の父の言葉となりました。へいわくんが東京へ戻った翌朝、父は天に召されました。朝、痛み止めの注射を打つまで、苦しみもあまりなく、意識もはっきりしているまま、平安のもと天に召されたのでした。

 父が癒されなかったことで、うるちゃんが気落ちしていたところ、ある兄弟は、「天国に行ったのだから、いまはもう、がんからいやされているね」と、言ってくださいました。なぜ、うるが望むような肉のいやしは起こらなかったのか、主は全能なのだから、偶像を取り払えたはずなのに…、という思いもありましたが、この疑問に、主は葬儀後に礼拝に行った実家近くのW教会でのメッセージを通して答えてくださいました。主はロボットの人間を必要とされてはいない。偶像をこわしても人間が、偶像を持つのを望んでいるなら、意味がないと。確かに、今の段階では、父がいやされても、昔からの流れのキリスト教の信仰に戻っただけでしょう。昔からの流れのキリスト教の葬儀に出て、イエス様を信じているのに、目に見える像やマリヤのほうを大事にしている信者さんのための祈りの必要を感じました。マタイ 6:24 には、神とサタンと同時に仕えることはできないとあるからです(「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」)。また、イエスを信じていればどんなイエスでもよいというものではなく、人となってこの世に来られ、十字架にかかられた神であるイエスを信じているならば、罪の重みを知り、神の栄冠を得るために、罪と格闘しながら歩むものだと思いました。

 主は、うるちゃんが望んだようないやしではなかったけれども、父にとって、神の国にとって、最も良い方法をとられたのだと、信じることができます。   ハレルヤ!!

※余談1:3体の霊のような幻は、その後数年に渡る像にまつわる出来事によっても、祭壇の像との関係があることが明らかになっていったのでした。(神ではない霊の話は、焦点が神からそれていくので、割愛します)

※余談2:父が亡くなって初めての礼拝で、A牧師は、へいわくんとの握手のとき、「ごくろうさん」とだけ、言われたそうです。それは、父がへいわくんに最期にかけた言葉と同じ言葉で、たった一言でしたが、感動を覚えたそうです。

補足:父の死の数年後、母は上京せざるを得ない状況になり、20年間にわたって、へいわくん・うるちゃんが近くでサポートしていくことになったのでした。

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
  ☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
  ☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
  ☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
  ☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)

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