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「さばいてはいけない」「ゆるしなさい」は、キリスト教の教えであるが、これが律法的に使われていくと、主イエス・キリストの愛から離れた異質な教えとなってしまう。
「〔人を〕さばいてはいけない。〈さばきを宣告したり、非難を浴びせたりしてはいけない〉。そうすれば、あなたたちもさばかれない。〔人を〕罰して〈罪に定めて〉はいけない。そうすれば、あなたたちも罰せられない〈罪に定められない〉。免除して〈赦して〈釈放して〉やりなさい〈憤ることをやめ、憤りをしずめなさい〉。そうすれば、あなたたちも免除される〈赦される〈釈放される〉。」(ルカ 6:37〈詳訳〉)
ここでいう「さばく」は、「告訴する、断罪、さばきの宣告、非難、罰すること」であって、「罪への指摘や忠告のこと」ではない。 愛から出た「罪への指摘や忠告」は、神の国を治めるために、必要なことである。
「外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。」(Ⅰコリント 5:12,13)
非難ではない罪を治める行為を「さばく」とし、「さばくな!」と非難して押さえ込むことは、カルト化の徴候の一つである。
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主題からの学び「罪とさばき」
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