聖書個所:ルツ記 1章1節~22節(新改訳聖書)
『ナオミの苦難-神の偉大な計画-』
士師記時代の一つの家族、ダビデの先祖の物語
ルツ記のルツはダビデの曾祖母にあたる。「サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ、エッサイにダビデ王が生まれた。」(マタイ 1:5-6)ルツ記2章から出てくるボアズは、ラハブの息子である。カナン入植時に斥候をかくまったカナンに住んでいた遊女ラハブがその後、ユダ族のサルモンと結婚して生まれたのがボアズである。
「さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。」(ルツ 1:1,2a)「さばきつかさが治めていたころ、」ルツ記は、接続師 で始まり士師記とのつながりを持って始まっている。士師記は、ヨシュアの死後(士師 1:1)、約束の地カナンにおける最初の300年間の話であり、カナンに住む民族の圧迫とさばきつかさによる救助が連続的に語られている。民が神の前に悪を行ない、主が怒って周囲の敵によって圧迫を与え、主がさばきつかさによって勝利を与えられ・・・といった連続である。神の国がきちんと機能せず、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に(主の前にではない)正しいと見えることを行なっていた混乱期の時代であった。ルツ記は、士師記の時代の話であるが、ヨセフォスの古代誌によれば、「サムソンが死ぬと、大祭司エリがイスラエル人の指導者になった。そして彼の治世中に、イスラエル人の土地が飢饉に見舞われて苦しんだことがあった。」(ユダヤ古代誌2, p.93 筑摩書房)とあり、士師記終わりの頃の話である。
飢饉からの回避
「ユダのベツレヘムの出のエフラテ人」(ルツ 1:2)エフラテは、ベツレヘムの別名で、「穀物の地」の意味があるように、肥沃で穀物や果物に恵まれている地であった。そのような土地であっても起こったひどい飢饉であった。
そのような飢饉の苦しみに耐えかねて、ベツレヘムに住むユダ族のエリメレク(「私の神は王である」の意)という人が妻ナオミ(「快い」の意)と二人の息子マフロン(「病める者」の意)とキルヨン(「消え失せる者」の意)を連れて、モアブの野に逃れることにした。
「モアブの野」(ルツ 1:1)の「野」は、 (field, land、土地、畑、野)であり、エリメレク一家は、死海の対面にあたるモアブの地に行った。ベツレヘムの西はペリシテ人の地と地中海、北はイスラエル人の土地で飢饉の中、南は荒野である。モアブ人とイスラエル人の間に自由に行き来があった時代、東への道は自然の選択であった。
モアブ人は、ロトとその姉娘による子孫であり、イスラエルとモアブの関係は、微妙なものであった。約束の地に向かっている途上で、主がモーセに言われた中に、「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いをしかけてはならない。あなたには、その土地を所有地としては与えない。わたしはロトの子孫にアルを所有地として与えたからである。」(申命記 2:9)とあり、主はイスラエルの民に平和共存を命じられた。モアブ人のほうはカナンへ向かうイスラエル人が領土を通ることを許さなかったり(士師 11:17)、モアブの王バラクが、バラムを使ってイスラエルを呪わせようとしたり(民数 22,23章)している。この2つの出来事により、律法においてこのように書かれている。「アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。その十代目の子孫さえ、決して、主の集会に、はいることはできない。これは、あなたがたがエジプトから出て来た道中で、彼らがパンと水とをもってあなたがたを迎えず、あなたをのろうために、アラム・ナハライムのペトルからベオルの子バラムを雇ったからである。しかし、あなたの神、主はバラムに耳を貸そうとはせず、かえってあなたの神、主は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、主は、あなたを愛しておられるからである。あなたは一生、彼らのために決して平安も、しあわせも求めてはならない。」(申命記 23:3-6)
また、過去にモアブの娘たちの誘惑に負けモアブの神々への偶像礼拝をして神罰を招いたこともあった(民数 25:1,2)。モアブの神々についてであるが、モアブ人は、バアル・ペオル(カナンの肥沃神で神殿娼婦、神殿男娼といった淫行が行われていた)やケモシュ(戦いの神、いけにえを捧げ、子供を全焼のいけにえに捧げることもしていた)の偶像礼拝をしていて、モアブ人のことをケモシュの民と呼ぶ(民21:29,エレ48:46)ほど広く崇拝されていた。
「アモン人とモアブ人は主の集会に加わってはならない。」(申命記 23:3)ここだけを見ると、アモン人やモアブ人は偶像礼拝者だから、主の集会に加わることを禁じられているのかと思うところだが、ひどい偶像礼拝が理由ではなく、憐みや愛のなさ、神の民への敵対心を言われている。モアブに敵対することは禁じられていたが、敵対しない=仲良くすることではなく、神の民にとって、モアブ人は、距離をおく必要があった民族であった。
「モアブに敵対してはならない。彼らに戦いをしかけてはならない。」(申命記 2:9)と言われてはいるが、士師の時代の初めの頃(2番目の士師エフデの時、士師 3:14)イスラエルは18年間モアブの王に仕えたことがある。平和になるとイスラエルが主の目の前に悪を行なったから、主が学びの一環としてなされた状態であった。イスラエル人が主に叫び求めた時、主がベニヤミン人のエフデを起こされ、モアブ人と戦って勝利を治めている。戦いは仕掛けてはならないが、何があってもNGではなく、不当な圧迫には主にあって立ち向かうことが主の道である。
ルツ記の時代は、神に従いきれず(主の目の前に悪を行ない)主が起こされた敵からの圧迫がある度に、敵と戦っているような時代である。エリメレクという人物は、ベツレヘムに土地や財産を持っていたが、どのような人物であったかは聖書には書かれていない。約束の地を離れ、偶像礼拝の地モアブに逃れたのは、信仰が足りなかったとの見解も聞いたことがあり、その見解を支持してもよいような「ミドラシュには、エリメレクの名前を『王国は私のほうへ来る』と解釈し、エリメレクを高慢な男であったと考える」※という記述も見たが、それを事実として有効にする根拠が聖書には見当たらない。聖書は、「そこに滞在することにした。」「滞在する,しばらくの間住む」と語るのみである。「滞在する,しばらくの間住む」とあるので、また帰郷するつもりであったことが想定される。裕福なエリメレクがつけた二人の息子の名前マフロン(「病める者」の意)とキルヨン(「消え失せる者」の意)、自分の息子になぜこのような名前をつけたのか、悲惨で希望が見えないような世だったようである。
※ 新聖書註解 旧約2〈いのちのことば社〉p157
神の治世とはかけ離れた様相と飢饉の耐えがたい苦しみの中、エリメレクは生活の糧を求めて、死海をはさんで対岸のモアブの野に避難した。約束の地を離れ、偶像礼拝の地に行ったことは信仰的とは言えないかもしれないが、信仰は我慢大会ではない。この後のルツ記の美しい物語、神の計画のためには、ここは外せないエリメレク一家のモアブ滞在であった。
約束の地を離れたところでの試練
「彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。」(ルツ 1:2b-3) エリメレク一家がモアブに来て、どのくらい経ったかは記されていないが、滞在中にエリメレクは死んでしまった。死因は書かれていない。生死は神の御手であるが、聖書はこの死への神の介入については何も書かれていない。ナオミにとっては、ききん以上の更なる苦しみであるが、幸いなことにふたりの息子がいた。生活を固めようと思ったのか、ふたりの息子はその土地モアブの女性を妻に迎えた。え~っ、イスラエル人と結婚すればよいのに、モアブの女性? 律法的に見ればとんでもない不信仰で、NGとなるところだが、聖書は淡々と事実を記すのみである。偶像礼拝の地のモアブの女性を妻にすることは信仰的とは言えないかもしれないが、モアブの女性が皆、心から偶像礼拝をしていたわけでもないだろう。この後のルツ記の流れを見ると、神の計画のためには、ここは外せない婚姻であった。
「ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。」(ルツ 1:4)「弟嫁」(ルツ 1:15)の方の名はオルパ(gazelle、雌鹿、神の豊かな女性)、兄嫁のほうはルツ(friendship、友情)であった。そして約10年の月日が流れた。聖書で10は完全数を表している。ここに神の時が見える。そのような時、「しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。」(ルツ 1:5)なんと、ふたりいた息子がふたりとも死んでしまったのである。夫と同様、死因は書かれていない。聖書には必要でないことは書かれていない。神の御手が下ったとも書かれていない。生と死は神の御手であるが、死で終わらない永遠の世界が神の国である。神の計画の中に、この世の死は存在し、生と死を通じて信仰者をどのように用いられるかは神の意志である。夫に続くふたりの息子の死、ナオミにとっては神に見捨てられたかのようなとてつもない苦しみだったことだろう。悲惨な状況ではあるが、この後のルツ記の流れを見ると、神の計画のためには、ここも外せない事柄であった。
ヨブ記のヨブは身に覚えのない長い苦難に遭っているが、ヨブは正しい人であり、神の許しの中でのサタンの試みにあい、周囲はそのようなヨブを因果応報の視点で見て、ヨブの苦しみを増し加えた。エリメレクやナオミについては、正しい人とか高慢な人とか、神の前にどうであったとか、そのような記述は見られず、この苦しみが何であったかは、聖書の記述にとどまり、後にできる実で見ていくことが大切である。
神の時
ナオミに残されたのは、ふたりのモアブ人の嫁であった。そこに「主がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さった」(ルツ 1:6)ということがナオミの耳に届いた。飢饉が終わったのであれば、モアブの滞在も終わりにし、ベツレヘムの地に戻ることができる。「そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとし、」(ルツ 1:6)「ふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。」(ルツ 1:7)
「そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、『あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように主がしてくださいますように。』と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。」(ルツ 1:8,9)ナオミは、モアブ人である女性がイスラエル人の共同体の中で生活する大変さを思いやったのか、ふたりの嫁に「それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。」と言った。「あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、主があなたがたに恵みを賜わり、」という言葉の中に、ふたりの嫁たちが、それぞれ心を尽くして息子たちやナオミに仕えてきたことがわかる。ナオミにとって、神である「主があなたがたに恵みを賜わる」に値すると思ったほどに、気立てのよい嫁たちであった。
互いの愛と信仰
初めはふたりとも、「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」(ルツ 1:10)と言ったが、ナオミが別れを惜しみながらも、二人の嫁に、モアブの実家に帰って再婚して幸せに暮らすようにと勧め、一緒に行こうとすることは、「私をひどく苦しませるだけです。主の御手が私に下ったのですから。」(ルツ 1:13)とまで言うので、オルパは別れの口づけをして声を上げて泣きつつも去っていった。ここで、ナオミと一緒にベツレヘムへ行くことを、ふたりの嫁は「帰ります。」と言っている。どこにか?「あなたの民のところへ」ナオミの民=神の民のところへ、ナオミと一緒に「行く」ではなく「帰る」と言っている。他人ごとではなく、自分のこととなっている。ナオミの醸し出す神の民としての品(性質)、暮らしの中でのナオミとの会話で見えた神、ふたりの嫁は、長年の生活の中で、ナオミを通じてイスラエルの神に触れていた。ふたりの嫁は「帰ります。」と言ったのだが、ナオミは、「なぜ私といっしょに行こうとするのですか。」(ルツ 1:11)「帰る」ではなく「行く」と距離を持たせるように言っている。なおも、ナオミは去ろうとしないルツを説得しようとした。「ナオミは言った。『ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。』」(ルツ 1:15)3度目の説得である。
3度目の説得に、ルツはこう言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」(ルツ 1:16,17)「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」ルツの信仰告白である。ルツには、イスラエルの神への信仰が芽生えていたのである。「私があなたから離れるようなことがあったら」ナオミが帰るから一緒に行く、というようなナオミ主体ではなく、ルツは自分の責任において、自分の思いで行くことを望んだ。そのようなルツの固い決意にナオミはもはや何も言えなかった。ルツとオルパ、どちらも気立てのよい嫁ではあったが、信仰のふるいによって、ここで系図への道は別れたのであった。
帰郷
ナオミとルツはふたりで、べツレヘムの家に帰った。10年ぶりの帰郷に町中が驚き、ふたりのことで騒ぎ出し、女性たちが声をかけてきた。「まあ。ナオミではありませんか。(ルツ 1:19)という女性たちにナオミは答えた。「私をナオミと呼ばないで、マラと呼んでください。全能者が私をひどい苦しみに会わせたのですから。私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし(砕く、謙遜にする)、全能者が私をつらいめに会わせられ(いろいろな悩みや災いに会わせること)ましたのに。」(ルツ 1:20,21)不信仰にも取れる言葉である。が、ナオミには、嫁たちに伝わっている信仰が存在している。不信仰にも取れるこの言葉の中にナオミが遭遇した苦しみが見える。
詩篇の作者たちも、苦しみをありのままに祈っている(詩篇 88:13-18, 詩篇 22:1など)。ナオミの通った苦しみは、「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。」(詩篇 22:1)と言いたくなるような苦しみであった。このようなナオミの不信仰にも取れる言葉や境遇を聞いたベツレヘムの人たちの反応は書かれていない。が、2章で落ち穂拾いをしているルツへボアズが語った言葉からは、冷たい言動があっただろうことが伺える(ルツ 2:8-10)。「不信仰なことを言う」とか、「神に逆らって約束の地を離れたから夫や息子たちをなくした」とか、「悔い改めないと」とか「神から離れモアブの女を連れてきた」とか、外面的な信仰によって心の中ででも思ったとしたら、その人たちは、神を適切にはよく知らないという他ないだろう(ヨブの友人たちのように)。神は愛である。外面だけを見て、苦しみにある人の心を更にえぐるとしたら、悔い改めないといけないのは、一体誰だろうか。ナオミには、苦難の10年の間も、嫁たちに伝わっている信仰が存在しているのである。それだけの信仰を見込んで、主は偉大なる計画の内にナオミを用いられた。
苦しみの中から、やっとの思いでベツレヘムに戻ったナオミと、神の民との新しい生活に飛び込んだモアブの女ルツ。時は、ちょうど大麦の刈り入れの始まった時期であった。刈り入れ時に帰ったルツは、落ち穂を拾いに出かけ、ボアズと出会い、結婚し、イエスの系図に名を連ねることになる。
ラハブの息子(異邦人に偏見を持たない)ボアズとの出会いは、神の計画の中にあった。飢饉の際にモアブに行かなかったら、夫のエリメレクが死んでいなかったら、息子がまだ生きていたら、弟嫁のオルパが一緒に来ていたら、話は全く変わっていたことだろう。
神にあれば、他からは不信仰に見えるような事柄、苦しみの中にも、主の計画がある。死を超えた永遠につながる祝福の計画である。いつも主を心に置こう。うらみごとをぶつけても、信仰にあるなら、主は慰めをもって導いてくださるお方だ。
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