主からの預言~小羊うるちゃん物語へのコメント~

以下に記載したQ&Aは、小羊うるちゃん物語のコメントです。

   初めてB教会の家庭集会に集った日、B1牧師の口を通じて、神がいかに安息を大切にしておられるかが聖書の旧約・新約を通じて語られました。主の安息の中で、私たちはみこころを行なうことができるのだということを、求道者の方々にもわかりやすく解き明かされていました。その説き明かしに、心を耕かされ、性質の違う羊が集っていても、誰も自分自身を主張することなく、群れが主にあって一つとなっていました。特に、うるにとっては、一番つらい時期に、まるでその場にいて見ていたかのように、刺さった言葉をそっと抜いて手当てするようなみことばの解き明かしがなされ、主イエスのもとに来て、安らぎを得たような心地がしました。
新約聖書の教会の中の「預言者」は、原語の意味するところは、「聖霊によって動かされる説教者、講解者」「聖霊によって満たされ、説教や教えによって神のみ旨とご計画を解き明かすように霊感を受けた者」である。
確かに、使徒の働きには、アガボという預言者が「パウロの帯を取り、自分の両手と両足を縛って、
「『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人に、こんなふうに縛られ、異邦人の手に渡される。』と聖霊がお告げになっています。」と言った。」(使徒 21:11)と個人的なことを預言しているのだが、これは、主イエスが信仰ゆえに多くの苦しみを経て、私たちに信仰の模範を残されたことや、パウロが「この信仰にしっかりとどまるように勧め、『私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。』」(使徒 14:22)と弟子たちを教えていた聖書の言葉と合致する内容であり、確かに実現しているのである。
預言については、A教会で「預言」と言って語られた預言と、B教会で「預言」という言葉は全く使われずに語られた解き明かし、どちらも体験したので、よく理解できます。この期間に、B1牧師を通じて学んだことは、生涯忘れられない宝となっています。この期間に学んだ内容だけではなく、うるは、聖書をどのように読み解くかという一番大切なことをB1牧師の教えを通して、教わりました。心に流れてくるみことばについて、B1牧師は「(聖霊の)水は高いところから低いところに流れる」とよく言われていたことを覚えています。
「みだりに主の御名をとなえてはならない」(出エジプト 20:7)は十戒にある基本的な戒めじゃ。よく吟味できるよう、神を知ることが大事ということじゃな・・・。ふぉっふぉっふぉっ

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【参考】預言について
    新使徒運動の教役者たち ~小羊うるちゃん物語へのコメント~
    神の声を聞く人々
    「主は本当にそう語られたのか?」(ジョン・ビビア著 サムソン・パブリケーション発行)
    預言
    聖霊体験

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