「小羊うるちゃん物語」part 4-1 イエス様と共に

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  【前回までの登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     N師     : はづきさんを導いた女性
     H牧師    : H教会の牧師
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     Kさん    : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人

※ 今回の物語には、教会の礼拝時の「預言」「会衆預言」が出てきます。ペンテコステ系単立教会においては、時に礼拝の中でなされることがあります。一般のオーソドックスな多くの教会ではなされていませんが、寛容な視点でお読みください。

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 救われた当時、うるちゃんの住んでいた所はシャ宅で、御陵の参道沿いにありました。その頃のうるちゃんは、シャ宅の人たちの不可解な態度に、悩みを覚えていました。その地区は、古くからのしきたりがあって、数年前に入居したシャ宅の人たちは、なじめずに不満をかかえていたため、周囲に対しても冷たくなっていたのですが、越してきたばかりのうるちゃんには、わかりませんでした。

 なごみちゃんが生まれた頃に住んでいたシャ宅で隣に住んでいた人が、越してきてみると、また隣に住んでいました。このことも単なる偶然ではなく、神の計画があってのことのように思われました。その人の態度のあまりの変貌ぶりに、これはまわりの影響(環境のため)かもしれないと思いました。それで、うるちゃんは断食をして祈ってみよう、と思ったのです。

 たやすく断食できる人もいますが、うるちゃんにとっては違いました。幼い時のうるちゃんは、偏食・小食の子供であまり食べられず、空腹によりうずくまるほどの腹痛をおこしたり、吐いてしまったりしていたものでした。そのような記憶があるため無理をせずにまず、一日の断食から始めようと思いました。一人ではくじけるかもしれないと思ったので、教会で行なう日を選びました。その日は、へいわくんは出張中で、食事作りも子供たちだけの簡単なもので済ませることができるため、ちょうど良いと思われました。幼稚園の役員会の昼食もぐっとがまんして、子供たちの食事を横目に、なんとか朝・昼・晩とのりこえました。が、子供たちをお風呂に入れた頃から、目がまわり出したのです。祈るどころではなくなり、早く寝てしまおうと思い、寝ようとしました。ところが、夜1時ごろ、あまりの嘔吐感と頭痛に目が覚めてしまいました。そのうちに、うるちゃんのかつての同僚に一人暮らしの男性クリスチャンがいて、不精をして7日間何も食べないでいたところ、救急車を呼ぶ状態になった、という話を思い出しました。「他の人には数日の断食が出来ても、ひょっとしてうるは、特異体質で(幼い頃は、病気はあまりしなかったのだが、昔のことだったので、痩せているということで虚弱体質と判定されていた)、1日でも出来ないのかもしれない。うるは死んでしまうのかもしれない。そうしたら、子供たちはどうなるのだろう。へいわくんは出張中だし…」という思いが頭をぐるぐるかけめぐりました。「うるは自分では気づかなかった何らかの罪のため、今滅ぼされるのかもしれない」という恐れまで出てきました。結局そういった恐れに負け、朝が来る前に断念してしまいました。

 さて、断食が半ば失敗のように終わったため、その日以来、毎朝毎晩の祈りに身が入らなくなってしまいました。祈りに身が入らない状態が2週間ばかり続いた頃、ある試練がやってきました。

 うるちゃんが住んでいたシャ宅は12世帯が住んでいました。うるちゃんが教会へ行き出した3月から突然、隔月の第2日曜日の10時から約20分間、外回りの掃除をすることになってしまいました。教会へ行き出したばかりのうるちゃんは日曜日は都合が悪くて出来ないので、各家が都合の良い時間にきれいに掃除しておけばいいのでは…と提案したのですが受け入れてはもらえませんでした。それで、3月、5月はまだ教会へ行なっていなかったへいわくんが出て、その後は毎週1回定期的に個人で掃除していました。すると7月の掃除の時のこと、一部の人たちから、「自分たちは用事があっても後回しにしているのに、ずるいわよ。毎回出ないなんて…(まだ、始まって7月で3回目、そのうち、その時間に参加できなかったのは7月の1回だけだったのだが)」と苦情が出たのです。シャ宅の役員の方3名には納得してもらっていたことでした。その苦情を言った人は、その態度から何となくわかったので、祈りながら、その数名が集っているところへ直接、説明に行きました。毎週教会へ行っているため出られないので、今までのように、あらかじめ掃除していくということで納得してもらえないかということを伝えました。その時は、にこやかに「わかりました。でも他の人たちにも聞いてみないと…」という答えが返ってきました。回覧でそのことを皆にも回すように言われたので、何か変だな、と思いながらも、クリスチャンであることを伝えるよい機会だと思い、言われる通りに書いて回しました。すると思ってもみなかったことになったのでした。2、3日後、いつもならばうるちゃんは夕方まで帰宅しないところ、急に腹痛がして昼頃帰宅しました。すると、回覧ノートが戻ってきていて、ドアポストに入っていたのです。腹痛はすぐに治まりましたが、その回覧ノートを読むとうるちゃんに回覧ノートを回すように言った数名を説得するのはほとんど絶望に近いことがわかりました。それは、聖書でイエス様をおとしめようとした人たちが言った内容と同じように感じられたのです。はじめは好意的に9時からにしてもよい、と書いていた人たちが、ある1人の人の口切りから1日で180度意見をくつがえして書き直してきたのです。「うるちゃん一人があらかじめ掃除していくのも、開始時間を9時からにするのも、土曜日にするのもいけない。」、「個人でするのは意味がない。親睦が目的だから(前2回出た時は掃除しただけだったが)。」、「9時からでは、“早過ぎる”。土曜日は夫がいないので、子供をみてもらえない。」、「なんで、一家族のために十家族(直前に一家族が引っ越ししていった)が犠牲にならなければいけないのか。」、「他の用事ならともかく教会へ行くので出来ないというのは、どうしても納得いかない。見たいテレビがあるので出来ないというのと同じだ。」と苦情が出た数人の人からの言葉が書かれていたのです(下線以外はそのままの言葉です)。その日のうちにどうしたらよいか教会へ相談に行きました。

 教会で、祈ってもらい帰宅しました。回覧ノートはその夜、取りに来られ返事を求められたので、あの腹痛は主が家に帰るように仕向けてくださったようなタイミングでした(帰っていなかったとしたら、時間的にどのような内容であったかということが示せなくなっていた)。

 その夜、心に示されたみことばは、「それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。」(ゼカリヤ書9章8節)でした。「この試練は断食の失敗以来祈りに身が入らないうるに、主がくださった試練なのだ。ということは、耐えていれば必ず主が救い出してくださるはずだ。」とうるちゃんは思いました。幸いシャ宅の役員の方々はうるちゃんに好意的で、夏休み後まで結論を保留にして下さいました。夏休みに入るまでの数日間、その人たちは役員の方々に、「掃除の件はどうなったか。」と再三再四、尋ねていたということです。ある人(口を切った中心人物)は、シャ宅の自分の部屋の前に東京福音クルセードのポスターを貼れば、「自分がクリスチャンと間違われるから、現に間違われたから外すように言ってくれ。」と役員の方々に言っていたのでした(直接は、何も言わず、にこにこしているのだが)。

 へいわくんも救われ、洗礼も受け、喜びの中に入れられていた頃のことだったのですが、うるちゃんは、辛抱強くないのかわずか2週間で、このことに関してうんざりしてきたのです。そして、7月24日の礼拝を迎えたのでした。賛美にも身がはいらず、ぼーっとしていると、突然A牧師夫人の会衆預言の言葉が耳に飛び込んできたのです。それは、「わたしがわたしの元にあなたをあがないだした。だから、あなたは恐れずに、あなたの思うことをやりなさい。わたしはあなたと共にいます。」というような内容でした。預言の言葉一つ一つが心にしみてきました。その預言に励まされ、うるちゃんは元気づきました。幸いにもそれから数週間は聖会が続き、主を思い切り賛美する機会が備えられていました。

礼拝に行くという理由から、シャ宅の住人からバッシングを受けたうるちゃんはどうなるか???   つづく・・・

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【参考】コラム「預言について」

  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)

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