殻を打ち破る作業

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント 10:13)

ここで、パウロは、キリストを信じているクリスチャンに向かっての注意を語っている。
同じ御霊の食べ物を食べ、同じ御霊の飲み物を飲んだにもかかわらず、荒野の試練で、つぶやき、偶像礼拝に陥って、滅ぼされた先祖の例をあげて…。
これらのことが起こったのは、私たちへの教訓のためであったとある。また、私たちが悪をむさぼることのないためだとある。
———————
私達は、苦しみの試練にあうと、これぐらい許されると、自ら脱出の道を作ろうとする。
神にあって私達が通る試練には、意味がある。
親鳥が卵から雛がかえる時、殻を破るのを手伝わないのは、雛が死ぬことがないよう、力をつけさせるためだ。そうやって、雛は強くなっていく。
殻を破るのは、生まれてくる雛にとっては、とても苦しい作業だ。
雛にはわからない。「助けてくれればいいのに。」と。
一つ一つが殻を打ち破る作業。強め、主の似姿に変えられるための試練。
殻の中に留まっていることは、心地よいかもしれないが、滅びへの道だ。
神とともに歩むとは、肉を取り扱われ続けるということである。
私達が殻を破るのを見守っておられる主が、共におられる。

コメント