「バビロンのつかさたちが彼のもとに代言者を遣わし、この地に示されたしるしについて説明を求めたとき、神は彼を試みて、その心にあることをことごとく知るために彼を捨て置かれた。」(Ⅱ歴代誌 32:31)
奇跡的にアッシリヤの王の手から、救われたヒゼキヤのもとに、多くの人々が主への贈り物を携えてやってきた。
このうわさが広まり、ヒゼキヤはすべての国々から尊敬の目で見られるようになった。
ヒゼキヤは、主に栄光を帰することをせず、かえって心を高ぶらせた。
そのころ、バビロンの王がヒゼキヤのもとに使者を遣わした。
ヒゼキヤは、その使者に、家の中や宝物倉の物をすべて見せびらかした。
神は、ヒゼキヤの心にあることを知るために、なすがままにされた。
結果、ヒゼキヤが見せびらかした財宝がバビロンに持ち去られ、子供たちも捕虜として連れ去られる日が来ることが、預言者イザヤの口から伝えられたのであった。
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試みは「心見」に通じるそうである。
自分の祈りを通して、神の偉大な証しが成った後は、要注意である。
その証しを自分のものと思い違いをせず、神に帰そう。
高ぶりは破滅への道である。
神の沈黙は、試されている時である。
心を見ておられる神がおられることを、いつも忘れずに歩んでいこう。
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