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聖書個所:ルカの福音書2章41節~52節(新改訳)
『父の家へ-成人を前にしての意識づけ-』
前回は、イエスが誕生し、きよめの40日間が過ぎて、幼子イエスを神にささげるために、エルサレムに宮詣でに行ったところを見た。宮で聖霊の人シメオンと女預言者アンナに出会い、ナザレの町に帰ったというところまでであった。
主の例祭
「さて、イエスの両親は、過越の祭りには毎年エルサレムに行った。」(ルカ 2:41)レビ記23章には主の七つの例祭についての記載がある。「あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」(レビ 23:2)「あなたがたが定期に召集しなければならない聖なる会合、すなわち主の例祭は次のとおりである。」(レビ 23:4)と2回念を押すかのように繰り返して語られている。レビ記23章には、第一月の十四日の「過越の祭り」、「過越の祭り」の翌日(十五日)から七日間にわたる「種を入れないパンの祭り」、「過越の祭り」から「種を入れないパンの祭り」の期間中の安息日(あるいは、過越の祭りの第二日目)に行われる「初穂の祭り」、「初穂の祭り」を第一日目として、50日を数え、50日後に行う「刈り入れの祭り」、第七月の第一日の「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」、第七月の十日の「贖罪の日」、第七月の十五日の「仮庵の祭り」とあり、「以上が主の例祭である。」(レビ 23:37)と7つの主の例祭について書かれている。この7つは、①「過越の祭り」と「種を入れないパンの祭り」(除酵祭)②「初穂の祭り」と「刈り入れの祭り」③「ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合」と「贖罪の日」と「仮庵の祭り」の3つに区分され、②は「七週の祭り」とも呼ばれているのだが、新約の復活祭(イースター)、五旬節(ペンテコステ)の予表となっている。
イースター:イースターの日にちは、「春分の日以降、最初の満月の日の次に迎える日曜日」とされている。春分の日も移動祝日で、毎年3月20日か21日のいずれかとなる。イースターは、春分の日以降、最初の満月の次の日曜日のため、毎年3月下旬から4月のいずれかの日曜日に定められる。キリストの復活が芽吹きの季節の春を想起させるため、古代ゲルマン民族の春の女神「エオストレ(Eoster)」の名にちなんで「イースター」として祝われるようになったともいわれている。
律法ではこの過越の祭り、七周の祭り、仮庵の祭りの3つの祭りに成人男子は宮詣ですることが定められていた。「あなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。」(申命 16:16)時代を経て、イエスが生まれた頃には、最低年に一度過越の祭りに巡礼することになっていて、女性も同行することが奨励されていた。ユダヤ社会では、男子が律法を守る成人と認められるのは十三歳であり(女性は十二歳)、成人になる前年に、その予習をさせるのが父の務めであった。そういう慣習がある社会の中で、ヨセフとマリアは、主の例祭の過越の祭りには毎年エルサレムに行っていたのである。
少年イエス
イエスが成人と認められる一年前の十二歳になられたとき、両親は毎年詣でているエルサレムにイエスを連れて行ったことが書かれている。「イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習に従って都へ上り、祭りの期間を過ごしてから、帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかなかった。」(ルカ 2:42,43)ナザレからエルサレムまでは、約140Kmの距離であり、4日ほどの道程であった。過越から始まる祭りの期間は、過越と続く七日間の種を入れないパンの祭りの八日間であるが、巡礼者がエルサレムにいなければならないのは、初めの二日間の過越祭であり、遠くから来た巡礼者は七日間の祈りの全てに参加しなくても、二日間だけ参加すればそれでよいということになっていたようだ。しかし、敬虔なユダヤ教徒は「祭りの期間」ずっとエルサレムに滞在していた。律法では、過越の「第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。」(レビ 23:5)「この月の十五日は、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。七日間、火によるささげ物を主にささげる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」(レビ 23:6-8)とある。
遠方のため、イエスの両親は初めの二日間で帰途につき、イエスはなお祭りが続くエルサレムに残っておられたという解説もできるのだが、「祭りの期間を過ごしてから」とあるので、律法で規定されている祭りの全期間を過ごしたと思われる。その「祭りの期間」をエルサレムで過ごして、ヨセフとマリアは帰路についた。祭りが終わって、エルサレムから地方に向かう道は帰る人々でごった返していただろう。四分の一ほどの道のりを進んだところで、両親はイエスがいないことに気付いた。遠方からの巡礼者は、道中の危険を避けるために大きな団体をなして旅をするのが普通であったようだ。巡礼者の群れについては、「子ども、女、男の順で歩み、少年たちは、行列の前後を自由に駆け巡った。」(新聖書註解 新約1 いのちのことば社発行 p332)とあり、イエスのいないことに気づかなかった要因としても上げられていた。
「それで、巡礼者の隊列の中にでもいるものと思って、一日の道のりを行ってしまい、[それから]親類や知人の中を捜したが〈熱心に、あちらこちら捜し回ったが〉、イエスを見つけることができなかったので、道中〈あちらこちら〉を捜しながら、エルサレムに引き返した。」(ルカ 2:44,45 1)両親は心配して、来た道を戻りつつ一生懸命に捜しまわったが、どこにも見つからず、結局エルサレムに着いた。子供と女と男に分かれて歩んでいたとしても、両親がイエスは巡礼者の隊列の中にでもいるものと思って、一日の道のりを進むまで気にしていなかったことから見えてくることがある。
・十二歳の少年イエスは、賢い子で人を困らせるような事はしない子であっただろう(一日ぐらい放っておいても大丈夫な子であった)。
・よく周囲に興味を持ち、大人にでも物怖じせず話しかけ、進んでコミュニケーションを持つ子であっただろう(両親が巡礼者の隊列の中にいるのだろうと思うようなことは、日常的なことだった)。
「三日の後に、神殿〈の中庭〉で、教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり、質問しておられるイエスを見つけた〔イエスに出会った〕。」(ルカ 2:46 2)こうしてイエスを捜すのに、三日かかり、ようやくのこと、宮にいるイエスを見つけたのであった。当時の律法学者たちは問答形式で弟子に律法を教えていた。そのように、律法理解が師から弟子に伝えられ、そうして形成された口伝の律法理解と適用が「口伝律法」となって、聖書にある成文律法と同じ権威のある律法として扱われ、年月を経て人間的な教えも混じっていき、イエスの時代には、神の愛から離れたものとなっていた。聖書のみことばの解釈や適用は、人間的なものが混じりやすく、伝え聞いた教えであってもよく吟味しつつ、正しいのは神のみであるというへりくだりの下、神の愛に立ち返る必要がある。イエスは律法を教えるラビたち教師の真ん中にすわって教えについてのやり取りをしていたのであった。そのやり取りは、周囲を驚かせるものであった。何に驚いたか。「イエスの話を聞いている人々はみな、その知力〈理解力〉とその返答とに驚愕していた〈すっかり圧倒されてしまっていた〉。」(ルカ 2:47 3)まだ少年で、教えていたわけでもなく、話を聞いて質問していただけなのに、律法学者の中にあっても秀でる知恵と愛に満ちた神による答えに圧倒されたのであった。まだ少年時代のイエスの神殿デビューの一幕である。「三日の後に」見つかったのは、神の御手であった。復活したイエスは三日目に弟子たちの前に現れた、完全数の三日間、イエスが両親と離れ神の神殿にいた三はたまたま偶然ではない神の御手である。そう見ると、続くイエスの言葉の真意がわかるだろう。
「両親は彼を見て驚き、母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。』」(ルカ 2:48)母親に叱られる少年イエス。黙って帰路から外れ、何日も捜し回ることになり、マリアにはいろいろな思いがよぎっていたことだろう。心配したあまりに、悠然と神殿で論じている子供に、このように言うのは、母親であれば普通のことかもしれなかった。「心配して」詳訳聖書では、「とても心を悩まして〈心をかき裂かれる思いで〉」と、非常に心配した様子が書かれている。「母」としての思いであった。その「母」にイエスは答えた。
神の子イエス
「するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』」(ルカ 2:49)人間の12歳の子供がこのように答えたとしたら、頭に血が上り、「まず、ごめんなさいでしょう。」「口答えするな」とか、生意気だと捉えて叱り飛ばす親もいそうである。詳訳聖書を見ると、「どうしてわたしをお捜しになる必要があったのですか。私が〈当然の義務として〉私の父の家にいなければ〈私の父の務めに[専念して]いなければ〉ならないことを、悟っておられなかった〈ごぞんじなかった〉のですか。」4「私の父の家」というのは、字義通りの訳では「私の父の事柄」となり、欽定訳聖書では「My Father’s business」と訳されている語である。この時、イエスは、父なる神に与えられている使命を意識し、既に宣教に向けて動いておられたのである。まず、両親に。今はわからなくとも、知る時が来る。真理を伝える伝道である。時間を要するかもしれないが、必要な時に、必要な神の道を必要な形で語る、神の愛を伝える。そうして伝えられた信仰は、ゆるがないものとなる。「多くの人の心の思いが現われるため、剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。」(ルカ2:35参照)という苦しみが、やがてマリアに訪れることは免れないのだが、そこに至るまで、苦しみを耐えうるような信仰へと、主が共にいて、徐々に導いてくださることは、何と幸いなことだろうか。神は、処女降誕の役目を果たしたマリアを、すばらしい信仰だといってそのまま放置してイエスの十字架の死を迎えさせたわけではない。マリアは、時にかなって信仰の訓練を通され、イエスの十字架後はヨハネの下で信仰を送り、天に凱旋していかれた一人の信仰者であった。
「しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。」(ルカ 2:50)両親には、イエスが言われた意味がわからなかったが、それ以上の深追いもせずに、見つかってよかった、よかったといっしょに帰路についた。思慮深いマリアは、一つ一つを大切に心に刻み、キリストを通じて神を知っていったことだろう。
「それからイエスは、いっしょに下って行かれ、ナザレに帰って、両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。」(ルカ 2:51)皆に理解されなくとも、伝えることは伝え、「これからは父の家の働きに専念する!」でもなく、人としてイエスはナザレに帰って、へりくだりをもって両親に従い仕えられた。ひとり両親に黙って帰路から離れたことは、両親に逆らったわけでもなく、成人を前にし公の働きに着く前の、宮での一幕であった。初めて宮に来ていながら、宮に関心もないように「僕、いい子」という感じで両親とともにすーっと帰っていたら、それはそれで、少年の頃はちょっと知恵がある普通の子であったのに、大人になって何を突然目覚めたのかという印象にもなるだろう。イエスは、どの時代も神の子イエスであった。
「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された。」(ルカ 2:52)「子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。」(エペソ 3:20)とあるように、イエスは、人として両親に仕え、主に喜ばれ、人として普通に成長し、成長と共に視野も広がって、ますます知恵(詳訳聖書では、「広範で完全な理解力」)が増し加わって、大きくなっていき、「神と人からの愛顧もますます彼に加えられて」(詳訳聖書)いった。神と人とに愛される人生、誰もが求めるものだろう。こう書かれているが、イエスは人間全員に愛されたわけではない。悪を好む人々や神を愛さない人々からは、憎まれ、ついには十字架につけられたのである。が、彼らが憎んだのは、イエスの人柄とかイエス自身ではなく、自己中心的な欲から自分にとって都合の悪いものすべてであった。イエスに従っていけば、あらゆる訓練を通し、徐々に似た者とされていく。神のみこころを行えるよう祈りつつ、安心して神と人とに愛されている者として、イエスについていこう。主が共におられる。
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