遠回りされる神

「さて、パロがこの民を行かせたとき、神は、彼らを近道であるペリシテ人の国の道には導かれなかった。神はこう言われた。『民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。』」(出エジプト13:17)

エジプトを出た民は、神の民として訓練され、形作られる必要があった。
神は知っておられた。人間の弱さ、罪の性質を。
強く好戦的なペリシテ人の国の道を通れば、必ず、目の前の困難に目を留め、神から目が離れ、エジプトに戻ろうとする弱さを知っておられた。
だから、神は、近道だけれども、険しいペリシテの道ではなく、遠回りでも、信仰によって歩みやすい道を選ばれたのであった。
しかし、その配慮があっても、民は、幾度となく、不信仰に陥り、エジプトに引き返そうとしたのであった。
そのような民を、神は、見捨てることなく、40年も付き合われた。
近道を通れば、40日ほどで行ける距離であった。
40年は長かったが、それは、神とともに歩むための訓練の時であり、回り道であったが、民にとっては、信仰に生きる最善の道であったのである。
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長い苦しみに、嫌気がさしてはいないか。
神は、あなたを一番よくご存知であり、あなたにとって、何が必要であるかを
誰よりも(あなたよりも)、知っておられるのである。
そして、その必要は、神にとって、難しいものではないのである。
神の時がきて、ふり返ってみると、あなたは、そこに宝を見出すだろう。
弱さも、罪も、神に委ね、感謝の祈りをもって、進んでいこう。
神に不可能はない!

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