伝道について

「伝道することとは,人々がキリスト・イエスによって神に信頼を置くように,また彼らの救い主として彼を受け入れるように,そして,彼の教会の交わりにおいて彼らの王として彼に仕えるように,聖霊の力によってキリスト・イエスを提示することである」(新キリスト教辞典より)

 異端で知られているとある団体では、聖書を引用して、2人ペアで各家庭を訪問して、その団体特有の聖書勉強会につなげている。

2人組というのは、マルコ6章7節、ルカ10章1節で、イエスさまが12弟子を世に遣わすときに用いられたスタイルである。
それを言葉通りに忠実に実行しているわけである。
「ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。」(伝道者 4:9-12)とあるように、ふたりというのは知恵でもある。

但し、そのやり方を実行することによって、イエス・キリストが伝えられれば、である。 

みことばにあるから、聖書のことばを伝えているから、と同じことをただ真似しても、心の内が異なっていたなら、キリスト・イエスは伝わらない。 みことばは、律法の掟ではない。恵みとしてとらえた時に、神なるキリストが輝きを放つ。

「私は100人以上の人を救った。あなたは何人救った?」と聞かれたことがある。その人は、もともとコミュニケーション能力にたけている方だった。間違ってはいけない。神は、ロバの口を用いても(民数記2:28)、みこころをなされる方である。人が救われるのは、ご聖霊の働きであり、私たちはなすべきことをするだけである。
そして、どれだけ多くの人を救ったとしても、「神は、みこころにかなう人には、知恵と知識と喜びを与え、罪人には、神のみこころにかなう者に渡すために、集め、たくわえる仕事を与えられる。」(伝道者 2:26)ともみことばにあるが、重要なのは、後にどのような実が残るかである。

 人によって得意不得意は異なる。不得意なやり方を強要されるお方ではない。友なるキリストを紹介したい、伝えたいという思いをもって、自分に合ったスタイルで機会を用いて伝えればよいのである。
やり方によっては、キリスト・イエスではなく、伝道している自分を伝えていて、さらに、時代にそぐわないやり方次第では、伝道の妨げにもなりうるのである。

「もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」(ヨハネ 13:35)とあるように、一番の伝道は「愛」であり、「愛」がなければ、本来のキリストは伝わらず、妨げにすらなってしまうのである。

キリストなる神を正しく知り、主の愛に立って、機会を用いて伝えていこう。祈りつつ種をまけば、ご聖霊が働いてくださる時が来る!

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