主のみこころを知る

「また、祈るとき、異邦人のように同じことばをただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。」(マタイの福音書 6:7)

ある時、祈りについて、主が語られた。
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人が祈る時、あまりにも多くのことばを並べたて、それで満足してしまう。
わたしの言うことばを聞こうとしない。
自分の要求や自分の思いを告げて、わたしの語ろうとすることばを聞こうとしない。
主が交わりたいと願っていても、わたしの方を向かない。わたしはそれが悲しい。
心を閉ざさず、また、わたしがどんなにあなたに教えたいと願っているかを知って欲しい。

わたしが語ることばが聞こえないのは、雑念を捨てず、自分の考えを捨てないからです。
そのことがわかるだけでも祈りが違ってきます。
すべてを支配しているのは、主です。
祈る事柄も、主が導かれます。

否定的な思いは捨てなさい。今、捨てるのです。
それをしないと、あなたを用いたくとも用いることができません。

わたしがあなたをどんなに愛しているか、あなたは知らないでしょう。
あなたが想像できないほどに、あなたを愛しているのです。
信じて下さい。これを信じることができず、疑いに負けてしまわないようにして下さい。
人々がどのように誤解しても、あなたとともにわたしがいることを忘れないで下さい。
遠慮は何も生み出しません。悔しさと惨めな心が残ります。
したいことは、伝えなさい。したくないことも同じです。
ハイはハイ、いいえはいいえです。それ以上のことは悪いことです。
人が持つ疑問を聞くのも、時によっては、必要なことです。

そうやって、互いに補い合って、キリストの律法を全うしなさい。
人は不完全です。人の助けも、交わりも必要です。
それがキリストの体の健康な状態です。

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