<– 前の記事:迫害と分派を乗り越えた初期の教会~真理による一致
前回は、200年以上の迫害を乗り越えて、キリスト教が、当時の世界の中心であったローマ帝国のコンスタンティヌス帝によってローマの公認宗教とされ、その後国教化されたところまでを見た。多神教とヘレニズム文化の土壌の中で、キリスト教にも様々な分派が起こっていた。迫害が繰り返し起こり、キリスト教をローマからなくそうとしても、かえって増え広がっていった。キリスト教を公認することは、ローマ皇帝側には、帝国の管理下に置き、教理を統一することによって、帝国全体の結びつきを強めて国を統一することができるだろうという考えもあった。
こうして、正統な教義とするニカイア信条が制定され、三位一体の教理が確立されたわけだが、国教化によって、教皇と皇帝の結びつきが強められていき、政治と宗教(正統とされた教理信仰)とは手を携えて進むようになっていった。そして、キリスト教は、世に受け入れられたことにより、世俗文化からの要求に譲歩していくようにもなっていくこととなった。国の管理下に置かれたキリスト教はその後の地域や時代によって、正しいとされる教義はいろいろ出てきた。人間がその時々で打ち出してきた正統とされる教義とキリストが弟子たちに教えていかれた教えの真理は必ずしも一致しているとはいえない状態で、今日までキリスト教は継続している。長い年月によって、いろいろ世に合わせた教えが入り込むことはあっても、キリストが語っていかれたことばとキリストがなされたみわざをまとめた「聖書」は不動に守られてきた。
キリストの内にありたいと願っている信仰者は、神であられるキリストを信じ、キリストは三位一体の神であるという聖書の基本から逸脱しなければ、間違いや足りなさがあったとしても、一人一人がキリストの体を形成するパーツであり、互いに存在を認め合ってキリストの律法(神への愛と隣人への愛)を実践し、神の国を現わしていくべき存在である。内部に間違いや足りなさが仮にあったとしても、互いに対話と愛の実践によって、不変不動でそこにある真理へと変えられていき、キリストの律法を全うしていくのが理想の姿である。対話と愛の実践によってでも、真理を退け続けるとすれば、その者は、キリスト信者ではなく他の何かを信じる者だということになるだろう(マタイ 18:15-18の手順は必要である)。正しいお方は神ただおひとり、人間は間違いを犯しやすいものであるという認識のもとで、キリストの内にいるならば、キリストを信じる信仰者たちからは、かぐわしいキリストの香りが放たれていることだろう。
また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。(マタイ 18:15-18)
歴史の中で
政治と宗教が手を携えていくようになると、キリスト教徒は信念を弱めて世に譲歩することにもなった。国教化されて時代や地域の為政者によって、正統とされる教義は作られていき、19世紀頃までの教会は、一致することよりも互いの教義の違いを強調していた。14世紀頃までの中世を見ると、キリスト教が公認された後千年経過し、キリスト教がどんなに権力化し世俗化していき、キリストの教えから離れていったかが見て取れるだろう。当時は、聖書はラテン語で書かれていて、知識を独占している一部の聖職者層しか読めないものであったため、一般の人々にとっては、教会で語られる教えと儀式による信仰となっていた。
こうして教義の腐敗が進み、ルネサンス運動が起こった流れの中で、マルチン・ルターが当時の教会でまかり通っている教義に異議を唱え、宗教改革となっていった。みごとなまでの神のサイクルである。
アダムとエバの堕落、ヤコブの子供たち、捕囚、エルサレム崩壊と離散、宗教改革、プロテスタントが起こって、この後、歴史はどのように進んでいくか。歴史は、人間の罪を行きつくところまであわれみと忍耐をもって見ておられる神の計画に従って進んでいる。アダムとエバから始まり、イスラエルという国によって神の民の型を示され、カトリック教会によって、神についての記録が現代にいたるまで守られ、神の流れはその時代が移るとともに、霊と真をもって礼拝する群れへ移されていきつつ、全世界への壮大な神の計画がなされている。
イスラエルの国を起こされた時に神の国の型が示されている。アブラムを信仰の父として召し出され、その後、信仰による国を形成された。度重なる罪を聖めつつ、残された信仰の民を訓練されつつ、自力ではどうにもできない罪から贖われるための道を示され、神の計画通り、歴史は続いている。
ルネサンスと宗教改革を経て、全世界、多様な言語で聖書が読まれるようになり、万人祭司の時代の中、教義が異なる多くの教団教派が生まれ、教義も多様化している。多様化する中で、20世紀になり、キリスト教の一致の必要性からエキュメニカル運動が起こった。1910年6月にエディンバラ宣教会議が開催され、英米のプロテスタント諸教派の代表らが、今後の世界宣教で、教派を超えて一致協力していくことについて協議したことから始まった超教派の運動である。協議したものの、全教団教派が一致するような信条によるはっきりとした定義を明文化することは困難であり、結局、1948年の世界教会会議で、共通性の基板を、イエスを「神であり救い主である」と認めるだけにしたという(異端の歴史 D・クリスティ=マレイ著 教文館発行 12頁)。
定義付けできないキリストの愛
一致した教義を持つことが難しくなっている万人祭司の時代、キリストの真理はあるのだが、一人一人同じ人間はいず、育った環境やおかれた立場によって考え方も異なり、罪の性質を持っている。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ 22:37-40)という愛に基づくキリストの律法「愛するとは何か」を明文化することはできないだろう。「これが愛するということだよ」という文字での定義はできないだろう。愛というものは、外面で判断できるものではなく、人により表し方も違い、時と場合と状況や相手にもよるからである。キリストの律法とは、主との交わりと訓練の中で、真理を知っていくようにできいるようだ。
とある教会の初めて参加した祈祷会で、司会者が、「愛とは何かということを今配った紙に書いてください」と用紙を配ったことがあった。愛し合うとは、どういうことかを皆で考えたかったのかと思うが、漠然と、「愛とは何か」と聞かれて、明確な答えを出す人はいなかった。私は、そのようなことを文章化することができるのだろうかと疑問を覚えたが、とりあえず、「愛は結びの帯として完全なもの」とコロサイ 3:14のことばを書いた。しかし、これもこれだけでは抽象的でわからなかったようであった。キリストの律法=キリストの愛とは、主との交わりと訓練の中で、知りたいと願う人たちが真理を知っていくようにできいるもののようだ。
「今世紀の困難は、これら(教団や教派、教会)の信条の一方または両方を公式に受け入れている教会の教会員の多くが、個人的にはそれらの条項の多くに不信を抱いたり、あるいはその表現を定めた人びとの意図とは異なる象徴的な解釈を与えたりしていることである。この点で、かれら(正式な教会員の多く)は自分の教派のメンバーとも他教派のメンバーとも意見が合わない。」(異端の歴史 D・クリスティ=マレイ著 教文館発行 11頁 括弧内は筆者加筆)
とすると、教会や教理で信仰を判別することはできない、一人一人の信仰が大切であるということになるだろう。と言うと、キリストを信じているならばどんな教理でもよいとなるのではないかというと、そうではない。キリストの愛から外れた教えや、キリストを三位一体の聖書の神としていない教え、人を顧みない(神の愛から外れた)破壊的な社会問題を起こすような教えには、神観が違うので、その誤りを伝えていく必要がある。間違ったキリストが伝わってしまうことには、抵抗する必要がある。大切な友が悪く言われるのを違うと知っていて黙っていることは、愛ではないし、信頼関係も結べないだろう。友なるキリストが自分の知っているものと違って、悪いように広がっていくのは、耐えられないことである。
カトリックで管理統一されていた教義が、宗教改革を経て、多様な思想に分かれ、その結果、多くの教団や教派が生まれ、聖書は多様な言語に訳され、全世界に広がっていった。
神を愛するということ
宣教を始められた頃、過越しの祭りが近づき、イエスが、エルサレムに行かれた。その時、宮の中で、牛や羊や鳩を売る人や両替人がすわっている光景を見て、激しく憤られた。「細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。『それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。』」(ヨハネ 2:15,16)動物は、捧げるいけにえ用であり、両替は遠方から礼拝に来る人たちが神殿用にローマ硬貨から. イスラエルの硬貨に両替するためのものであったのだが、イエスは激しく憤られた。便利さや迅速さを追求する現代では、何がいけないのかとなりそうである。そこが、神の領域の事柄でなかったら、便利さや迅速さもよいかもしれない。罪の悔い改めとそれを形にした最良のいけにえを捧げる心、あらかじめ準備したささげものにより神への誠意を示す思いと、ぱっとそこで全部済ませようという心、信仰は人間が中心ではなく、神を愛する愛に根差した神中心のものである。
たとえ、いけにえのためとはいえ、宮での商売を激しく憤られたキリストなる神は、世俗化していくキリスト教をどのようにご覧になられ、どうなさるみこころをお持ちであるだろうか。
ざっと外観を見てきたが、次回からは、教会組織への理解とこれからのキリスト教への神の計画を知り、信仰を歩む参考とするため、国教化された後の、キリスト教会の動きを詳しく見ていくことにする。
コメント