リバイバルと宣教

リバイバルと宣教という言葉は、クリスチャンが惑わされやすくなる言葉である。
「多くの者が救われて神の国がやってくる」という願望を持っているからである。
願望自体は悪くはないのだが、問題は、その願望を自己実現のために利用しようとすることである。

マズローの欲求5段階説によると、「自己実現欲」は、人間の欲求で最も強いものである。
上手な詐欺師は、欲望につけこみ、相手の不安を利用し、権威を持ち出し、稀少性を演出してくる。
「God God 詐欺」において、もっともやっかいなことは、だます本人も間違ったことを信じ込んでいて、だましているという自覚がなく、「神」という最高位の権威をまとっていることである。

リバイバル・世界宣教ということを主張し、献金や集客目的に活動している人々についての被害報告が届いている。「世界宣教リバイバル」や「リバイバルや宣教のための祈りの訓練」「黙想」を名乗った集会も開かれている。

そういった人々は、外面的なパフォーマンスを好んでいるため、「神が言われた」「権威ある医者である」「権威あるドクター(博士)である」「一日に何時間も長く祈っている」「どこででも(電車の中ででも)祈っている」…という主張が目立っている。

そういう人物の言葉は、主語がキリストである神ではなく、自分になっていることが多い。
(「神が言われた」と一見主語が神になってはいても、「神が(自分に)言われた。…」と自分が主体となって輝く内容を語っている)

リバイバルがもうすぐ来る、イスラム宣教、未開地伝道…等を強調し、神という上からの言葉でやってくる教えは注意を要する。(キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたお方である。(ピリピ 2:7,8)

今までの惑わしは、稀少性を打ちだし、信者を獲得するために、その組織独特の言葉を使うことが多かったが、最近は、一般的なキリスト教が使い、信頼を得ているような言葉も前面に出してきている。
そのため、信頼を得ているような教派や教会が利用されているケースも起こっている。
「キリスト」の名をつけずに、他の権威を付け(たとえば世界有数のドクター等)、外国の非営利団体を名乗って、全国展開をもくろんでいる団体についての被害も多数届いている。

God God 詐欺被害を防ぐには、正確な情報の伝達連携が欠かせない。

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