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「傷ついた道」への解決

「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」(詩篇139:24) 「傷ついた道」というのは、苦痛に導く道ということだ。悲しみの道とも言える。この詩篇の作者は、神への恐れを持たずに神の名の権威を軽々しく...
1_旧約

罪に対する態度

「かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。」(エズラ 9:2) 神の民は、自分たちの犯した罪によって、...
1_旧約

面倒がらずに主を信じて…

「こうして、この宮はダリヨス王の治世の第六年、アダルの月の三日に完成した。」(エズラ6:15) 捕囚で散らされていた神の民が自国に帰り、一つとなって主の宮を再建することは、主のみこころであった。しかし、エルサレムに帰還し、神殿再建に着手して...
2_新約

信仰の試練

「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」(Ⅰペテロ 1:7) 信仰によって歩もうとする時、なんでこんなことが???と思う...
コラム

「江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた」(古川愛哲著 講談社発行)

この本を読んで江戸時キリシタンのイメージががらりと変わった。キリスト者の罪がいかに重大なことになっていくかということも考えさせられた。心に留まった個所を記しておく。 「慶長元年(1596)、土佐の浦戸にスペインのサンフェリペ号が難破、漂着し...