悔い改めと赦し

「気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。」(ルカ17:3)

悔い改めれば赦しなさい、というのは、つまずきを起こさせる者についての教えの後、「戒めなさい」の後に言われている。
相手に「あなたは悪いことをした」ということを伝えることが、まず、必要である。
それが「戒めなさい。」ということである。
言っても相手が突っぱねるとしたら、そういう相手には、今は何をしても無駄である。
赦しという神の恵みも無駄にしかねない。
「聖なるものを犬に与えてはいけません。また豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」(マタイ7:6)
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赦しはキリストの教えの中心となるものだが、それも律法ではなく神の愛に基づいた教えである。
それなのに、ぼろぼろに傷ついた心に鞭を打つように、お手軽に「赦しなさい」と、みことばを用いて語る人たちが存在する。
ある時、そのような二次被害を受けた心に主は語られた。
「神の愛から離れないように、心を見張りなさい。
 あなたを神から離そうとしているものがいる。
 『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』(Ⅰペテロ5:8)
 神にしっかりと結びついていなさい。
 そうすれば、どんな敵も呪いも、あなたを害することはない。」

心が騒ぐときは、主のもとにありのまま進みでよう。
赦しはすでに神によって備えられている。
まず、自分が既に許されていることを知ろう。
主は、あなたがたの思い煩いいっさいを、引き受けてくださるお方だ!

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