自我を捨てよう

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ 43:4)

主は、私たちの外側や能力や働きがどうであったとしても、その存在を宝物のように愛して下さっている。
私たちは、主に出会い、その愛の広さ、長さ、高さ、深さを知って、初めて自分で握っていたいろいろなものを手放せる。
宗教的に外面をいろいろ繕ったとしても、本質の変革は、主の愛に触れないと、起きない。
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私たちはセルフイメージが低いことで、どれだけのみこころを逃しているのだろうか。間違った自己評価をしていると、いつかはがれるが、主が与えて下さる評価は、不動の評価である。
神がいのちを差し出すほどに、愛してくださっているのに、その愛を自分のフィルターを通し、差し引いて過小評価してはいないか。
逆に罪を捨てる気もなく罪が存在しているのに、過大評価をしてはいないか。
そうやって自分を握りしめてはいないか。それは強い自我である。
宗教的に長年、どれだけ祈り、頑張ったとしても、それだけでは、脱しきれない壁がある。
主の愛に出会うと、その壁が一瞬で破壊し、たとえ瀕死の状態であったとしても拾い上げて、有用な器になるよう整えて下さる。
豊かな実を結ぶようにという主の思いが、そこにあるからだ。
セルフイメージを捨て、主のイメージを身につけよう。
自分で握っているイメージを捨てて従っていこう。
その先にある世界は、なんと素晴らしいものだろうか。

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