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【前回までの登場人物】
うるちゃん : 主人公
へいわくん : 夫
なごみちゃん : 長女
サイエンくん : 長男
マーサさん : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
A牧師 : A教会の牧師
Dチャプレン : A牧師の友人である米軍基地のチャプレン
B1牧師 : B教会の主任牧師の長男である牧師
C牧師(夫人) : C教会の牧師(夫人)
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サイエンくんの洗礼をC牧師が断ってきた日の夜、うるちゃんは、主に、詩篇 55:18-23を示されたのです。「神は聞き、彼らを悩まされる。昔から王座に着いている者をも。セラ 彼らは改めず、彼らは神を恐れない。彼は、自分の親しい者にまで手を伸ばし、自分の誓約を破った。彼の口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。彼のことばは、油よりも柔らかいが、それは抜き身の剣である。あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。しかし、神よ。あなたは彼らを、滅びの穴に落とされましょう。血を流す者と欺く者どもは、おのれの日数の半ばも生きながらえないでしょう。けれども、私は、あなたに拠り頼みます。」(詩篇 55:18-23)
C教会の教えで、信者もうるちゃんとマーサさん2人しかいなかったC教会が教会としてまかり通るなら、うるちゃんの家での礼拝のほうが、立派な教会に思えてくるのでした。そこで「教会って何でしょう?」と主に祈りの中で聞いてみました。「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる」(マタイ 18:20)「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」(ヨハネ 4:21)イエス様を信じている者の集いが教会だよと、主に言われたような気がして、うるちゃんは、喜びを失わずに済んだのです。
C牧師に洗礼を断られた2日後から、C牧師は、単独、栃木の巡回伝道へと行かれました。Ⅰサムエルの25章のナバルとアビガイルが頭に浮かびました。賢明な奥さんが助言するのにも耳をかさず、奥さんの心配をよそに有頂天に自分の我のままにふるまう夫の話である。同時に、巡回伝道から、有頂天になって戻って来るという思いが来たのです(取りようによっては、失礼に聞こえるかもしれないが、主に語られたそのままです)。そして、MT牧師のところに泊まると主が言われました(そのときのC牧師とMT牧師は知り合いでもなく、お互い存在すら知らなかった。うるちゃんもMT牧師をA教会時代に名前を見たことがある程度で全く知らなかった)。次の週の水曜、クリスチャンの知り合いと一緒に開いていた祈祷会後の時間にC牧師から電話があったのです。「お互いに理解がなく、誤解しているようだから、会おう。M師のところで、数日泊めていただきすばらしかった。訪問伝道を広めることで一致した。今度、リバイバル新聞にのせてもらうことになった。」と。「女性と2人きりはよくないことなので、自分だけでは家に行けない」とC牧師が言われたので、「女性と2人きりはよくない」と口にする心理の持ち主とは関わりたくないとも思い、奥様が来られる時に、来てくださるように丁重に断りました。すると、「女性は教えてはならない。家の礼拝は罪だ。マーサさんはかわいそうだ。絶対、あなたにつまずくから、責任をとれるのか。」と言われたので、「うるは、牧師には召されていないですし、きちんとした教会の覆いを祈り与えてもらいますので、ご心配なさらないでください。」と告げて電話を切ったのでした。それ以来、電話も何もなくなりました。教えがこんなにも違いすぎるのに、聖霊派の牧師とどのように一致するのだろうと不思議でした。伝道に出かけられる前には、「イエス様のように十二人の牧師を弟子として、教えながら、訪問伝道を広める働きをしたいというビジョンがある」と言っておられ、C牧師の思いの位置の高さを改めて、知ったのでした。
教会での働きをやめるのは、うるちゃんにとってもつらかったのですが、牧師に頼らなくても、主の働きはあることを思い、あせらずに地道に主から与えられている働きをすることにしたのです。
なぜ、全く異なる三つの教会で、しかも自ら選んで言ったわけでもない教会で、同じ結果になったのか、教会は全部こうなのかと、主に尋ねると、Ⅰ列王記19:18から、「エリヤの時代、七千人のバアルにひざをかがめなかった者が残っていたように、七つ(完全数)の教会が残されている。」と語られ、きちんとした教えの教会も残っているのだという希望が出ました。
祈りの中、B教会は、「うるちゃんたち夫婦の神学校だ」と言われていたのですが、C教会は、「うるちゃんの訓練の場だ」と言われていました。
メッセージを組み立てる訓練、伝道の訓練、インターネットを用いる訓練、メッセージを語る訓練、心をきたえる訓練、カウンセリングの訓練、さまざまな訓練があったように思います。
B教会にいた時、うるちゃんは、異なった教えによって苦しんでいる教会に、恵みの福音をわかちあえるようにと祈っていました。だから、教えが違っていても真理のみことばを示しつつ頑張ってこられたのでした。しかし、C教会で尽力してみて、一度曲がった福音は、戻らないと実感したのです。だから、パウロは、恵みからそれた福音に対して厳しく糾弾していたのだと実感しました。(ガラテヤ 1:6-9、ヘブル 6:4-6参照)
そして、感じた悪い直感を決して無視してはいけないことと、必要以上に良く見てはいけないこと、また、罪がないと思っていると、自己吟味しなくなり、神は行きつくところまで行って気づくまで放置される、そのような神のわざに手を出してはウザのように(「ウザの割り込み」参照)痛い目に合うのだということを学びました。間違って抱く悪い考えは、主にあれば、主が正してくださる、現にいつもちょうどよい時に正してくださっている、そう気づいたのです。
うるちゃんが今まで、かかわってきた三人の牧師たちは、みなどこか心を病ませていました。これ以上は、その信徒という立場で関わることは、限界でした。これからは、外に目を向けて、家の教会として、主の働きをしていこうと思いました。
家の教会を開いた時、うるちゃんに「落ち穂を拾え。」と主はⅡ列王記 19:29-31を示して言われました。
次の日、マーサさんにも、「あなたへのしるしは次のとおりである。ことしは、落ち穂から生えたものを食べ、二年目も、またそれから生えたものを食べ、三年目は、種を蒔いて刈り入れ、ぶどう畑を作ってその実を食べる。ユダの家ののがれて残った者は下に根を張り、上に実を結ぶ。エルサレムから、残りの者が出て来、シオンの山から、のがれた者が出て来るからである。万軍の主の熱心がこれをする。」(イザヤ書 37:30-32)という同じみことばが示されたのでした。
「まことに、すべての国々の民は、おのおの自分の神の名によって歩む。しかし、私たちは、世々限りなく、私たちの神、主の御名によって歩もう。その日、・・主の御告げ。・・わたしは足のなえた者を集め、追いやられた者、また、わたしが苦しめた者を寄せ集める。わたしは足なえを、残りの者とし、遠くへ移された者を、強い国民とする。主はシオンの山で、今よりとこしえまで、彼らの王となる。」(ミカ書 4:5-7) 主が与えてくださったみことばである。 その時与えられた他の個所:マルコ 2:21-22、詩篇 74:3-8
この後(B教会を出て、2年後)、B教会の長男のB1牧師と会う機会ができました。しかし、尊敬するB1牧師に会った結果は、うるちゃんを打ちのめすことになったのでした。(若いB1牧師も苦しみを通っていたのでしょう。この後、家族とともに、B教会の本教会を去り、地方の山の支部教会に行き、牧師をやめられました。)
本当に、自分が、神の宝どころかぼろ雑巾のようにしか感じられない時でした。早く天に行きたい、とばかり思えていました。その中、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ 43:4)というみことばをただ握って、主がクリスチャンから来るあざけりとそしりを取ってくださることを信じるしかありませんでした。
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【うるちゃんと教会】
☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
☆ 早天祈祷のため行ったJ教会(Ⅱpart 1-5)
☆ カウンセラーの聖会に行った日本基督教団H教会(Ⅱpart 1-6)
☆ 韓国人牧師が開拓していたC教会(Ⅱpart 1-6)
☆ Y教会関係のTカウンセリングスクール(Ⅲpart 1-1)
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