<– 前の記事:「小羊うるちゃん物語Ⅱ」part 1-3 奇跡と癒し
【前回までの登場人物】
うるちゃん : 主人公
なごみちゃん : 長女
サイエン君 : 長男
はづきさん : 友人
マーサさん : B教会で知り合い友人になったクリスチャン
A牧師 : A教会の牧師
K宣教師(夫人): A牧師をマンツーマンで教えた宣教師(夫人)
W宣教師 : W教会を開拓した宣教師
B主任牧師 : B教会の主任牧師
B1牧師 : B教会の主任牧師の長男である牧師
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B教会のB主任牧師は異言とペンテコステ派を異常に嫌っていました。歴史ある教会で、先代のB0牧師がいろいろ変な行動を見たということで、ペンテコステ派のようなカリスマ的なことをとても嫌っていました。うるちゃんもA教会にいた頃、いろいろなことがあったので、霊を見分けることが重要だとは認識しています。初めて教会を訪れた1997年1月5日(日)にB主任牧師と話をしたときに異言を持っていることを告げ確認した時は、「まあ、いいんじゃないですか?」だったのですが、1ヶ月後の家庭集会に顔を出された時には、釘を刺しておきたかったのか、「ぼくは異言が大嫌いだ!」と本音を言われました(※ うるちゃんは教会の集まりで異言を用いて祈ったことはないです)。突き刺すような言葉でした。その時、うるちゃんは、「交わりを持てる信徒はいないのですか。」と祈りました。そう祈った日の夕方、Eさんと歯医者で会ったのです。以前Bハイツに住んでいて、いろいろあり今は引っ越して家族ともども本教会へ行っている信徒の方でした。アッセンブリー教会で異言を伴った聖霊を受け、以前、B教会のB主任牧師やB主任牧師夫人に悪霊によるものだと言われ、悔い改めを迫られ「もう異言を語りません」と誓わされたことがあるという経験をした痛みを持つ姉妹でした。そのEさんとの交わりにも支えられました。
※ 下線部についてのコメント
そんな中にあっても、B教会で養われ出して半年が経って、イエス様の愛と導きの確かさを日々実感していました。
B教会30年史を読み、教会の歴史と自分が通ってきた信仰が、及ばずながらも類似していること、長男のB1牧師を中心とした交わりに聖書に見られるイエス様の愛が感じられたこと、3世代にわたる信仰の不変性に感動してもいました。
異言のことやA教会で理解されなかった今までの経験から、教会の移籍をためらっていたのですが、考えていた移籍のことを祈ってみることにしました。気になっているのは、異言の見解についてでした。
1997年6月1日(日)のB2伝道師(B主任牧師の次男)の民数記からの礼拝メッセージにおいて、「マナ(みことば)だけで栄養は十分とれる。エジプトの、きゅうり、すいか、にら…(預言、異言、賛美…)がないといって、再び罪の奴隷下に行きたいのか。」と、主が言っておられるように思えました(※B2牧師は普通に聖書を解き明かしただけです)。実際、メッセージは、「主がいわれる」という前置きがなくても、主イエスが見えるようなメッセージがいつもとりつがれていましたし、異言の祈りは、個人で家で祈る分については差し止められてもいず、B教会で歌う聖歌や特選聖歌以外のワーシップや近年の賛美曲は家で自由に歌えることだと思いました。この日以降、1年間、B2伝道師は皮膚炎が悪化して休んでしまわれました。
また、1997年6月8日(日)のB1牧師のメッセージは、ガラテヤ人への手紙 4:21-5:1からで、「奴隷の子は奴隷しか産まない」というもので、特に、心揺さぶられ主の愛が流れてくるものでした。 当時のメモ
肉の働きで、多くの人をたたきこむように人を救いに導いても、自分の正しさを主張して誤りを正したとしても、結局、奴隷の子どもになるだけだと、よく理解できたのでした。これまでもブレのない聖書観でメッセージが語られていましたが、この日、A教会の福音とB教会の福音の違いがどこにあるかが、はっきりと見えたのです。
うるちゃんが救われて、まだ、洗礼を受けていない頃、御陵参道に住んでいましたが、周囲の圧迫から、聖書に書かれている聖霊を受けたいと祈って求めました。はづきさんに勧められるままに新約聖書を読んでから、「異言とは何か。弟子たちを変えた聖霊とは何か。求める者には、だれにでも与えられると書いてあるが…」という思いが残ったのでした。それほど、使徒の伝道の働きの中心を占めていた力の源の現れのように書かれていました。はづきさんもまだ経験がなく、聞いたことがあっただけというので、とにかく祈り求めてみることにしました。ある夜、口が振動して何か語っている夢を見ました。あまりにリアルだったので、聖霊様なのだろうかと、当時通っていた近くの教会の方に相談してみました。「イエス様の弟子でさえ、一緒にいても3年かかったのよ。(イエス様が地上にいる間は、まだ地上に聖霊様は臨在されなかったのだから、今考えればあたりまえですが)」「○○さんさえ、10年かかったのだから、まだ早いわよ。」「調べてみないと、悪霊からかもしれない。」など言われ、うるちゃんも否定してしまいました。否定した途端、花粉症がひどくなり、数日間、苦しみました。平安もかきみだれていたので、そのことについて祈ると、不信仰の罪を示されたのでした。聖霊様を疑ったことを悔い改めた途端、身体中かけめぐる振動とともに、舌が勝手に動き出したのです。使徒の働きにある現象が理解できました。自分で止めようとしても、体の奥からわきあがってきて止められないという不思議な体験でした。この体験は、聖書に書かれている神が本当におられ、今も共にいてくださる!という確信を揺るぎないものとし、何にも代えがたいものとなりました。
この後、A教会に導かれ、洗礼を受けたのでした。
「小羊うるちゃん物語」part 2-1 聖霊のバプテスマ 参照
B主任牧師に異言が大嫌いだと言われたのですが、祈りで受けた異言は、うるちゃんは当時の心を吟味しても、否定できませんでした。マナだけで栄養が取れ、マナ以外に重要なものはないというのもわかるのですが、これまでの信仰生活での体験は、うるちゃんにとっては、イエス様が今も生きて働いておられる証しであり、なごみちゃんの交通事故の時の体験とともにうるちゃんの信仰の基となっているのです。
このことを祈っていると、「信仰は一つであり、御霊も一つです。」と主が心に語られたのでした。また、今まで引っ越しが多かったので、これから先、どこへ行くかもわからない…と思っていると、「何も思い煩わないで飛び込みなさい。明日のことは明日が心配します。…。」と語られた。次に黙示録の7つの教会を示され、「教会をもさばかれる主が来られる時が来る。」という思いが浮かび、主ご自身が人や教会の誤りを扱い、ちょうどよい時に正しくさばいてくださることを信じることができたのでした。そこに神の愛があれば、わかりあえると信じ、移籍を決意しました。
が、移籍の意思をB教会に伝えようとした朝のこと(1997年6月11日(水))、Dチャプレンから電話があったのです。Dチャプレンは、A牧師経由の紹介でうるちゃんはワープロの文書作成の仕事を頼まれ、ボランティアで手伝っていたA牧師の友人でした(A教会を去って1か月ほどして、辞退した経緯がありました)。Dチャプレンは、うるちゃんに「今朝、(聖霊様に)3時に起こされ祈っていると、示されたことがある。あなたは、A教会に戻る。そして、リーダー的な重要な働きをする。」と言いました。以前、他の「預言者」と言われている牧師や、預言の賜物を受けたという信徒の方から、全く同じことを言われたことがあったことを思い出しました(その3人は、それぞれほとんど面識がない)。うるちゃんの移籍の決意は固かったのですが、Dチャプレンから「電話番号がもうわからなくなっていたのだが、聖霊様が番号を教えてくれた。」と不思議なことを言われ、多少動揺しました。祈ってみると、「神は愛である。その人たちは、御霊の実を結んでいるか。」と語られました。うるちゃんにはその人たちに神の愛が見えていませんでしたが、うるちゃんが見えないだけかもしれないとも思いました。実際こうして、うるちゃんのことを思って、電話をくれたのは一種の愛のようにも思われてきます。うるちゃんがイエス様の語りかけだと思っているのも、実は自己満足で万が一違っていたらと、またまた疑ってしまいそうになってくるのでした。
すると、今朝、電話がかかる前のデボーション時に照らされたみことば、「彼らの前にあるすべてのものが愛であるか、憎しみであるか、人にはわからない。(伝道者の書 9:1)」が思い出されたのです。
一見、愛のようでも、それが真実の愛かどうかというのは、人にはわからない。ただ、わかったことは、その人たちに愛のない数々の行為があったということだけでした。それと電話の内容はみことばをもって言われたわけではないので、いくら不思議なことであっても信頼するわけにはいきませんでした。
すると、次の日、預言の賜物を受けたといっていたA教会のKさんから電話があり、「今、祈っていたら、ある預言があった。うるちゃんさんのことだと思うのだけど、詩篇23篇『主は私の羊飼い。…。』ときて、『わたしの迷える羊を助けなさい。』ときたのだけれども。」と言われたのでした。「うるは迷っているわけでもないから、違うんじゃない?」と答えました。
移籍の決意をした途端のこれらの出来事を、確信もないままに無視するわけにもいかず(この不思議を悪い霊の働きと決めつけて行動したならば、うるちゃんにされたことと同じことを今度はうるちゃんがクリスチャン相手にすることになるからです。)、うるちゃんは、とにかく祈りの中でうるに語られたことを捨ててはいけないと思い、もう少し、様子を見ることにしたのです。
うるちゃんは、もうこれ以上、心を揺さぶられたくなかったので、もうA教会とつながっていたくなかったのですが、「籍を移そうと思っただけで、なぜこのような妨げがあるのか。半年が経ち、A教会との接触はもうなく、実際にはもうB教会にいるようなものなのに。移籍の思いは固まっているのだが、後一押ししてほしい。」と思っていたら…。
1週間前、特選聖歌集(B教会独自の聖歌集)をなくしてしまったようであることに気づきました。これがないとB教会の礼拝時の賛美がわからず、困るものでした。「主よ。またなのですが、あきれないでください。今度は特選聖歌集がなくしてしまいました。見つけてください。」と祈りました。これまで、主に祈って見つからなかった物はありませんでした。すると、「集会場の机の下に忘れてきたのだ。」という思いがわきあがってきたのです。行って集会場のフロントに聞いたのですが、届いていないと言われました。「日曜日になって、メッセージで移籍についてのみこころが語られて、かつ、特選聖歌集が見つかったなら、移籍しようと思います。一押ししてください。」と祈って、礼拝に向かいました。
1997年6月15日(日)の朝、礼拝に出向き、もう一度周囲に聞いても特選聖歌集はありませんでした。B2伝道師の代わりに来られたM牧師のメッセージを聞いていると、「証しするのにも時がある」と心に浮かんできて、「異言についての証しはB教会にはまだしなくてもよい。時期がある。不安を除くために認めてほしいという自己満足でしようとしている。」と主が言われたような気がしました。「はい、そうですね。その通りでした。」と心で答えた時、ドアがノックされ、特選聖歌集が見つかったのであった。まことに不思議な主のタイミングだった。こうして、異言の見解の違いによる不安は主を信じて委ねることにし、移籍の決意が整ったのでした。 当時のメモ
そして7月始め、B教会に移籍したのです。
この移籍時の不思議な2件の電話は、神を正しく知り、恵みのみことばをしっかりと蓄える必要性を刻んだ出来事となりました。
B教会での1年半の礼拝と家庭集会のメッセージを通して、うるちゃんは、恵み(神の愛)による聖書の読み方を、教わったのです。
それは後に学んだどの神学校の教えよりも、深く心の奥底に刻まれているのでした。
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【うるちゃんと教会】
☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
☆ へいわくんの実家近くのA教団のW教会(part 5-4)
☆ 行き場をなくしたうるちゃんが飛び込んだB教会(part 5-5)
☆ 世界一大きいと聞いていた韓国のY教会(part 5-番外編)
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