<– 前の記事:「小羊うるちゃん物語」part 4-2 礼拝への思いに対する主からの応答
【Part4の登場人物】
うるちゃん : 主人公
へいわくん : 夫
なごみちゃん : 長女
サイエン君 : 長男
はづきさん : 友人
A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
友人Nさん : なごみちゃんの幼稚園のママ友
※ 今回の物語には、救われたての幼い信仰ゆえの単純な行動が記されています。寛容な視点で読んでくださいますように!
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ある信仰書を読んだある日、改めてきちんと過去の罪を告白しようと思い、帰ってきたへいわくんと共に悔い改めの祈りをしました。2つばかり抜けを思い出したので、翌日も祈り合いました。その翌日も2つばかり抜けを思い出したので、同様にしました。
3日目の夜、へいわくんが床についたとき天井に3人の幼児が現れました。木陰から顔を覗かせていたそうです。「イエスの御名によって、悪霊よ、去れ!」と言ったら消えたそうでした。一瞬のことだといいますが、はっきり見えたそうでした。幻か、悪霊か、そのどちらでないにしても、何で幼児なのか不思議でした。この3日間、2人とも子供のことについて特に考えてもいませんでしたから。
付け加えておきますが、へいわくんもうるちゃんも、幻覚や幻聴、また幽霊の類を見たり聞いたりしたことは、まったくありませんでした。
その頃、うるちゃんの引っ越した家は預言通り、平安に満ちていて不満はなかったものの、なごみちゃんとサイエンくんが通っていた幼稚園の送迎バスが来ない地域のために、片道3600メートルある山道を、なごみちゃんとサイエンくんを自転車に乗せて幼稚園に通うことになったのでした。何日も経つと、そのような状況に疲れを覚えはじめました。何故このことだけがうまくいってないのかと…。というのは、お迎えにいく“その時間だけ”ねらってでもいるかのように、雨に降られるということが何日も続いたからでした。前後の時間は晴れていたり曇っていたりと降っていないのですが、待ち構えていたかのように、それも小雨などではなく、道が川になるほどの大雨でした。祈っても雨に降られつづけ、ある時などは、すごい集中豪雨と雷にあいました。
幼稚園の友人のNさんなどは「最近、お迎えの時になると雨に降られるわ。」とこぼしていたほどでした。9月22日(木)その日もお迎えが近づいた頃、雨が降り出しました。雨にうんざりしながらもイエス様がついていてくださっていると思い、感謝しながら迎えに行きました。友人のNさんの家で雨が上がるのを待って帰りました。昼頃から何となく頭が痛く、悪寒が走っていたのですが、夜、とうとう熱を出してしまいました。次の日から、ベニー・ヒンの聖会のために大阪の実家へ、また、田舎で家を新築した際の建前の時に神主さんにお払いされた柱を除くために、田舎へ行く予定をたてていた矢先の出来事でしたので(先日、偶像礼拝の罪を告白していた時から、柱を家から除きたいと思っていたのです)、妨げだと思いました。日頃、あまり風邪をひかず、熱を出しても一晩眠れば治っていたので、あまり心配はしていませんでした。幼稚園のお迎えのために連日、雨に打たれたせいもあり、この幼稚園へ通い続けるのはみこころではないことなのかと思い、「主よ、幼稚園の送り迎えに毎日合計約14キロ(3600メートル×4)の道のりを行くのだけでも大変なのに、祈っても祈っても、お迎え時に雨に降られ続けるのは、なぜですか? うるは病に倒れ、もう通い続ける自信がありません。」と涙ながらに祈りました。すると聖書のある箇所が示されたのです。エズラ記10章9節を見よという思いがくるのでした。その個所には、「それは、第九の月の二十日であった。こうして、すべての民は神の宮の前の広場にすわり、このことと大雨のために震えていた。… … だから今、あなたがたの父祖の神、主に告白して、その御旨にかなったことをしなさい。この地の民と、外国の女から離れなさい。」(エズラ記10章9節・11節)と書かれていました。この日は、9月22日でした(2日のずれがありますが、偶然とは思えないほどはっきり書かれている個所でした)。幼稚園は引っ越す前(御陵の参道沿いの住まい)にいた町にありました。親しんでいた幼稚園に固執している自分に気付かされました。
翌日の朝、ふらつきはするけれども、熱は下がっていたので、予定通り大阪へと向かいました。すると午後、再び熱が出て、動く気力も無くなってきてしまいました。大阪のへいわくんの実家に着くやいなや、布団に直行。しゃべる気力も無く、起き上がると気持ちが悪く、頭や喉も痛み、最悪の状態でした。翌日になって、熱は下がっても、起き上がれない状態は同じでした。「医者は好きではないけれども、明日の聖会へは行きたい。注射一本でも打ってもらって早く治そう。」と思い、這うようにして(車だったが)、近くのクリニックへ行きました。診察室へ入り、うるちゃんの状態と肌と白目が黄色いのを見た医者は、「これは、大変ですよ。肝炎のようです。風邪のように見えますが黄疸が出ています。動けない程でしょう。旅行なんてもってのほかです。今日、明日は、安静に寝ていることです。出掛けるなんてとんでもない。1週間で死ぬこともあるのです。入院しなければならなくなるかもしれません。早くて1ケ月で治るでしょう。とりあえず、大きな病院へ行くことです。救急車を呼びましょう。」と言われたのでした。うるちゃんは、幼稚園のお迎えによる疲れからきたものだと思っていたのでしたが、「この病気は疲れからくるものではない。」と言われました。しかし、医者のことばは、うるちゃんにとって悪い冗談としか思えませんでした。
救急車の中で考えることは、明日の聖会のことばかり。「何とかして入院だけは避けたい。もし入院ということになったら、医者をどうやって説得するか。あ~、でも起き上がれないし…。へいわくんだけにでも行ってもらって、集会のビデオを買ってきてもらおうか…。いっそのことタンカに乗ってでも行けないかなぁ…。明日は聖会だというのに何で寝てなければいけないのか?? ベニー・ヒンが悪霊による惑わしだとでも言うのであればともかく、絶対、行けるはずだ!」
総合病院へ着くと、検査と点滴を受けた。検査の結果、「白血球は乱れていますが、はっきりしたことはまだわかりません。月曜日(その日は土曜日で休日だった。)にならないと、医者がいず、精密検査が出来ないので、とりあえず帰って月曜日まで安静にしていてください。容体が変わったら来てください。」とのことでした。「やった! 入院は免れた。明日は行けるに違いない。でも、今日の明日で、はたして本当に起き上がれるかな…」と思いつつ、そのような状態で聖会当日を迎えました。A教会の人たちの祈りにもささえられ、朝、賛美し、ベニー・ヒンの本を読んでいる時のことでした。祈りつつ数ページを読んだところで、何かが体に働いたような感覚が起こりました。体に震えと熱い何かが走り、瞬間に、具合が良くなったのです。癒されたと確信して、起きてみました。普段の調子に戻っていたのです。ハレルヤ!
※ この部分についてのコメント
車で、聖会会場へ行きました。昨日までの状態が状態だったので、不安もありました。聖会中、熱が出始めました(体温計を持参していました)。でも昨日までとは異なり具合は良いのです。聖会が終わり、家に帰る頃は熱も下がり、完全に癒されていました。
家に帰り、途中で倒れているのではないかと、心配していたへいわくんの両親は、突然、元気になったうるちゃんを見て驚いていました。
いろいろあったにもかかわらず、予定通りに田舎の柱も持ち帰り、処分することができました。この柱を簡単に持ち帰ることが出来たのも、うるちゃんがイエス様を知る前から、主が関与していてくださったおかげだと思います。通常、建前の柱は、家の床の間の支柱に組み込まれるとのことでした(地域的な風習かもしれませんが)。うるちゃん達が家を建てたニュータウンのまわりの他の家ではやはり、家の柱となっていました。うるちゃん達の家だけが忘れられていたのでした(不動産屋さん談)。当時は縁起でもないと立腹して苦情を言ったものでした(今では感謝になりました)。家が建った後ではどうしようもないので家の床の間の屋根裏に入れてあったものでした。うるちゃんたちが越した後は、家は、人に貸していたのですが、1年もたたないのに、この連休中に出ていかれたのでした。まるで、主が、柱を取って来ることが出来るように段取りを付けてくださったようでした。
信仰の赤ちゃんだったうるちゃんが訓練され、ついにA教会にいられなくなることが起こります。Par5につづく・・・
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【参考】様々なメッセンジャーについて~小羊うるちゃん物語へのコメント~(2020.5.14)
【うるちゃんと教会】
☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)
–> 次の記事:「小羊うるちゃん物語」part 5-1 気付きのきっかけ
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