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聖書個所:ルカの福音書2章1節~20節(新改訳)
『すばらしい喜び-主キリストの誕生-』
クリスマスの起源
クリスマスは主イエスの降誕を記念する日として祝われているが、その起源を見てみよう。クリスマスは、キリストのミサ(キリストの祭)という意味のラテン語の「クリストゥス、マッセ」から来た言葉である。全知全能、完全である神が、私たちの罪をあがない救うため(全人類の罪のためのいけにえとなり十字架にかかるため)、人(しかも無力な赤子)の姿をとって地上に来られた、この出来事を覚え、祝う日である。このクリスマスを12月25日と決めたのは、ユリウス1世(在位:337-352年、337年はキリスト教を公認したコンスタンティヌス1世が自然死した年)が教皇だった4世紀半ばのローマ教会であると言われている。当時のローマは、ペルシャを起源とするミトラ教という太陽神を主神とする密儀宗教が広まっていて、12月25日を「太陽の復帰を画する太陽の降誕日」として冬至の祭を祝うことが浸透していた。冬至は長くて暗い、実りのない冬が終わり、新しい世界がはじまる日と考え、12月25日を「光の祭り」として祝っていた。キリスト教は公認宗教とされてはいたが、国教化される前の、宗教や分派が入り混じっている混乱している時代である。そのような時代に、ローマ教会は、「義の太陽」でありこの世を照らす「まことの光」であるキリストがこの世に来られた(生まれた)日を祝う日として、12月25日をキリストの降誕祭に制定した。密教の太陽を祝う祭りが「まことの光」を祝う祭りとしてキリストを祝う日に変えられたのである。
「ミトラ教の祭りだったから」※1とか、「キリストがお生まれになったのはその日ではないから」※2とか、「赤子の弱い姿のキリストが強調されているから」※3とかいろいろな理由を述べ、クリスマスを祝うことを否定する意見が見られ、キリストを祝う日をうやむやにしようとする働きがあるが、クリスマスは、「義の太陽」が、ミトラ教の太陽神に勝利した日であり、キリストがこの世に来られた(生まれた)日を記念して喜び祝う日であり、キリスト教がローマで国教化される前、世界に広まる前から祝われている。※1クリスマスは、偽の太陽神から勝ち取って祝われてきた降誕記念の日である。※2東方の博士たちが見た星や羊飼いが野宿していたという記述などから、その日を祝うのは適切ではないという意見もあるが、そもそも神は永遠の存在であり、生まれた日は、あまり重要なことではない。日にちよりも、喜ぶ心が大切である。※3赤子の姿のキリストは、原罪を持ち自分中心に高慢に陥りやすい私たち人間に表された、神に仕える模範(神の力を流す管となりきるためのへりくだり)の姿である。赤子の姿と神の力をどのように見るかで、解釈がかなり異なってくる。
御子誕生
前章では、喜びの中、バプテスマのヨハネが誕生したところを見た。すくすく成長し、公的な働きをするまで、荒野にいたというところで、終わっていた。「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。」(ルカ 2:1,2)「全世界」というのは、ローマが治めていた当時の世界観である。アウグストは、その治世時に三度国勢調査(前28年、前8年、紀元後14年)を行っていて、キリストの降誕時期には行なっていないそうで、また、クレニオ(プブリウス・スルピキウス・クィリニウス)がシリヤ州(ユダヤを含むパレスチナはシリア州の一部だった)に派遣され総督を務めていたのは紀元6年から9年であるそうなのだが、発見されている歴史的な資料以外の事実があるのかもしれない(例えば、発布されてから各州の実施期間にばらつきがあった、クレニオが正式に総督に任命される前に既に権力が及んでいた等)。聖書が語っているのは、ヨハネが生まれたそのころ(イエス・キリストが生まれる前)、住民登録の勅令が皇帝から出たということである。この頃のローマでは、徴税や徴兵の目的のため、名前、職業、財産、親族を登録させ、皇帝により統率管理されていた。
「それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。」(ルカ 2:3-5)「自分の町」というのは、生まれ故郷のことである。当時、ヨセフとマリヤは、ガリラヤの町ナザレに住んでいた。城壁もないような小さな町であった。ヨセフとマリヤ、どちらもダビデの家系であった。
ヨセフがダビデの家系であることは、マタイの福音書に書かれている(マタイ 1:1-17)。では、マリヤは? 古い伝承(2世紀に記されたマリヤの誕生を記した外典「ヤコブ原福音書」にも書かれている)では、マリヤは、ヨアキムという名の大変裕福な男性とアンナという女性のもとに生まれダビデの家系に属していたと言われている。聖書では、アロンの子孫のエリサベツは、マリヤの親類とも書かれている(ルカ 1:36)。マリヤは、ダビデの家系ユダ族の子孫でもあり、アロンの家系レビ属の子孫でもあるということになる。伝説によれば、ヨセフはマリアがまだ幼かったので、適齢期になるのを待っていたそうである。この時代の女性の結婚年齢は15歳から18歳くらいまでだそうで、マリヤは、現代の高校生ぐらいの年齢だったようである。
(『特別に恵まれた方-マリヤ-』より)
住民登録のため、身重でありながらも、福音書で言うところのダビデの町―ふたりの故郷であるユダヤのベツレヘム―に行くこととなった。ナザレ-ベツレヘム間、直線距離でも山道を含み120km以上ある。東京都西部から静岡県東部ぐらいまでの距離、臨月のお腹を抱えたマリアを連れ、ろばで旅することを考えたら、大変さがわかるだろう。この旅の間に、マリヤは、産気づいて男の子を産んだ。この子は、10ヶ月前に、マリヤの前に天使ガブリエルが現れて誕生を告げられた子であった。
「ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカ 2:6,7)御告げによって、授かった神の子であったのだが、小さな町ベツレヘムに着いてみると、住民登録で宿はいっぱいであり、ヨセフたちを泊めてくれるところはなかった。やっと見つけ身を落ち着けたところは、古くからの言い伝えや正教会では洞窟、西方教会では家畜小屋と言われている。どちらにしろ、マリヤのお腹にいるのが、神の御子だとわかっていたなら、宿屋の主人らは、われ先にと率先して、豪華なスィートルームを用意したのであろうが、ヨセフとマリヤには、人間用の部屋すらなかったのである。小さな町のいたるところにあったと思われる飼葉おけは、石かしっくいでできた箱型のものが普通であったが、洞窟の場合は、壁面に切り出したものであったことも考えられる。いずれにしても、ふかふかのベッドではなく、固いものである。身重での長旅や宿もない、このような状況に私が置かれたなら、「遠い。疲れた。なんでこのような時に旅するはめに…」「お腹の子は神の子なのに…、ふさわしくない」等、不安から文句を言っていたかもしれない(まず、そのような文句を言うような者が、このような使命に選ばれることはないだろうから、比較するのもおこがましいのだが)。マリアというまだ若い信仰者は、その使命にふさわしく、与えられた状況に感謝し、お産に臨んだことだろう(マリアがどうしていたか何も書かれてはいないが、この後のマリアの様子を見るとそのように思える)。「満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。」(ピリピ 4:11)とあるが、大きな祝福を得る信仰者たちには、満ち足りる心が見受けられている。これまで見てきたマリアの信仰を考えるに、置かれた場所が神が与えてくださった場所として受け取り、出産に臨んだのではないだろうか。
羊飼いたち
「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。」(ルカ 2:8,9)御子イエスの誕生は、まず、野宿で夜番をしながら、羊の群れを見守っていた羊飼いたちに、御使いによって、輝くばかりの主の栄光とともに知らされた。その時、羊飼いたちは、特に礼拝していたのではなかった。ベツレヘムに近いエルサレムには、後に出てくる主を待ち望んで主に仕えていたシメオンという聖霊の人やアンナという預言者(ルカ 2:25,36)もいたのであるが、主の栄光は、夜番をしていた羊飼いたちの回りに臨んだのであった。なぜ、羊飼いたちにであったのか。
羊飼いの仕事と言えば、いいかげんにできるような仕事ではなく、羊の群を放置すると、野獣の襲撃にあい、羊が殺されたり散らされたりすることもあった。羊たちが飢え渇くことがないよう牧草地に導き、飲み水を与えなければならない仕事であった。牧草のない時期には、飼料を与えることも必要であった。また、野獣が襲来したときに備えて、羊を守るために、常に長い杖や石投げを持ち歩き、襲われそうになった時には野獣を追い払わなければならなかった。羊は迷いやすく、配慮も必要とされた。
羊は、紀元前7000年頃の古代メソポタミア付近で家畜化されたそうだが、人間によって家畜化され改良された羊は、つまずき転んでひっくり返ろうものなら、自力では起き上がれず、助け起こしてやらないと喉にガスが溜まって窒息して命を落としてしまうので、注意が必要な生き物でもあるという。そのような仕事を持つ当時の羊飼いは、まじめに働けば働くほど、安息日も守れないため、周囲からは、神様の教えを守らない世のならず者、神から離れ、神からも見放された者、そういう風に見られ、もっとも低い仕事とされていた。エペソ 4:11の役職の賜物に出てくる「牧師」の原語は、 (羊飼い)である。本来の姿は、羊の健康と命を守るために欠かせない職であり、主の羊のお世話をする尊い仕事である。全人類への救いを示すために、そのようなもっとも低い羊飼いたちのところに、キリストの誕生がまず伝えられたのであった。
「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」(ルカ 2:10)原語では、「恐れることはありません。」と「今」の間には、「見よ」〈文語訳、口語訳、詳訳〉と訳されている 「ほら、さあ」(見よ)という不変化詞呼びかけのことばが入っている。民全体のためのすばらしい喜び、原語は、この上もない喜びとなっている。最上の喜び、これ以上ない喜び、天の軍勢が現われ天使とともに賛美する喜び、ことばに尽くせないほどの喜びである。主キリストの誕生とは、そのような意味を持っているのである。クリスマスは、この上もない喜びの特別な記念日なのである。私たちはそれを理解しているだろうか。
「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』」(ルカ 2:11,12)このことの私たちのためのしるしは、「布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけること」だと御使いは告げた。見えるところは、何の変わったところのない普通の赤子である。しかも、布にくるまれた赤子が、きらびやかさの微塵もないような粗末なところで、固い餌入れの中に寝ているのがしるしだと言われたのである。この赤ん坊が、人類を救う救い主だと言われたら、信じることができるだろうか。
「すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。『いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』」(ルカ 2:13,14)御使いが告げると、多くのおびただしい天の大軍勢が現われ神を賛美した。「グローリア イン エクセルシス デオ(いと高きところに 栄光が神にあるように)」極上の天の賛美である。主の臨在がその栄光とともにあり、羊飼いは感銘を受けた。「御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。』」(ルカ 2:15)この「出来事」( )の は、近くの語を強調する語で、「この、このこと、このもの、この者」となる。ギリシャ語辞典を見ると、「 が、話者の内にある思想に発し相手に理解されたものとしての言葉を見るのに対し、 は、現実の場面で語られて伝達して受け止められたものとしての言葉をより描写的に眺めると言える」とある。 は、こう言ったのだと頭で理解していることば、 は、より深く本質的に理解したことばで、 は部分的に に重なるそうである。この「出来事」はこの (ことば)と羊飼いたちは、言っている。羊飼いたちは、心に響いてきたこのことが見たくて見たくて、急いで捜しに出かけたのであった。
「そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。」(ルカ 2:16)「捜し当てた」は詳訳では、「〈捜して〉見つけ出した」とある。捜してついに、羊飼いたちは、御使いが言われたみどりごを捜し当てたのである。小さい町とはいえ、飼葉おけはたくさんあったはずである。羊飼いたちは、言われた出来事はどこだろうかと、ベツレヘムの中を捜して捜して捜し当てたのだろう。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。」(マタイ 7:7,8、ルカ 11:9,10)と言われた神は、私たちにみ言葉を与え、臨在を現し、信仰を持って捜した時に、そのことを確認させてくださるお方である。羊飼いたちは、 として響いた御使いのことばの事実を確認した。そして、この神聖な出来事をマリヤやヨセフや周囲の人々に分かち合ったのであった。「それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。」(ルカ 2:17,18)神の喜びの知らせを実際に本当だ!と知り、この喜びの訪れを告げ知らせる、聞いた人々は神のわざに驚き、興味を持っていく、これが福音を知らせる伝道である。マニュアルで伝わるものではないものがそこにある。
この後「しかし」と、入れなくてもよいような一文がある(聖書に入れなくてもよい言葉はないのだが)。「しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」(ルカ 2:19)救い主が生まれたと神の使いが知らせに来た、この赤子が主キリストだと言われ、私たちは捜し当て見に来たら、本当にお告げ通りのしるしがあった、そう話す羊飼いたちと羊飼いの話を聞いた人々が驚き喜んでいる。「しかし」と、マリアは別枠で描かれ、皆の驚く様子とのズレを感じ取っているかのような文が添えられている。冷静なマリアがいる。ガブリエルからお告げを受けた時も、ひどくとまどいはしたが、これはいったい何のあいさつかと考え込んでいたマリアである(ルカ 1:29)。マリアは、目先の奇蹟も、自分の頭に納まるように理解をするのではなく、しっかりと受け止めて(「これらのことをすべて心に納めて」)、人知を超えた神に委ね、先走った解釈をしないで神を知ろうとする思慮深い(「思いを巡らしていた」)人物であり、そのことが出ている一文である。
「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ 2:20)神に言われてただ信じるのも信仰だが、本当であることを確認し、神への栄光と賛美を現わし、世に伝えていくことも信仰である。人によって、信仰の現れ方は違うが、神に向かうならば、それぞれが組み合わせられて、神の国を建て上げるよい働きになっていく。
東方の博士たち
神がお立てになった証人は、羊飼いの他にもいた。マタイ 2章に出てくる東方の博士たちであった。東方(ペルシャ、バビロン、アラビヤなど)の博士たちは、占星学に通じていた異邦人の賢者、異邦の知識人である。彼らは、人類を救うユダヤ人の王の誕生を超常的な特別な星を通じて知り、何ヶ月かかけてユダヤまでやってきた。博士たちは、バビロンに捕囚でやってきたユダヤ人から神について、救い主について旧約聖書から聞いていたようである。よく三人の博士と言っているが、それは、黄金、乳香、没薬の3つの贈り物から創作されたもので聖書に人数は書かれていない。東方の博士たちはユダヤ人の王が生まれたのは、当然、王宮であると考えたようで、ヘロデ王を訪ねた。彼らは、ユダヤに新しい王が生まれ、その方が全世界を治めるという期待と信仰をもって、長旅をしてきたのであった。
しかし、やってきたエルサレムでは、何も起こっていない様子であった。博士らは、ミカの預言「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。」(ミカ 5:2、マタイ 2:6に引用)で語られていた待望のメシヤの誕生を信じて、はるばるやってきたのであるが、反面、ヘロデは、その誕生を聞いて、喜ぶどころか殺そうともくろむ。どちらも信じてはいるのだが、対照的である。ヘロデも信じはしたが、信仰に結びつかず、自分を建て上げるための道具として、神や聖書の記述を都合のいいように信じていた。
異邦の賢者は、星に導かれて、幼子(もう、みどりごではない)のところにたどり着き、ひれ伏して礼拝した。異邦の賢者もひれ伏すお方、王の王、主の主である。この東方の博士たちの三つの贈り物(3というのは神の証しの完全数である)、完全な証しとしての贈り物、黄金は王としてのイエスに捧げたもの、乳香は神としてのイエスに捧げたもの、没薬(死人の葬りに使う)は、十字架の死で人類を贖う救い主に捧げたものと象徴的である。
羊飼いたちも、東方の博士たちも、このような赤子を救い主として信じ、礼拝したのである。彼らは、どういうふうに救いがなるのかはわからなかったが、この赤子の誕生が、どんなに喜ばしいものであるかを理解し、礼拝した。クリスマスは、神が人間と同じ姿となって、救いの道を開いてくださったことを、世界中が喜び祝う日である。「主イエスを喜ぶことは、あなたの力です。」(ネヘミヤ 8:10欄外)クリスマスは、生まれた日が違うとか、異教の祭りだったとか、赤子のイエスが目立って力ある神が見えなくなると言って、排除してよいものではなく、キリストが私たちを贖うためにこの世に来られたというこの上もないすばらしい喜びが訪れたことを記念して心から祝うキリストを信じる者にとっては大事な日である。
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