「そしてイスラエル人は上って行って、主の前で夕方まで泣き、主に伺って言った。『私は再び、私の兄弟ベニヤミン族に近づいて戦うべきでしょうか。』すると、主は仰せられた。『攻め上れ。』」(士師記 20:23)
ベニヤミンに属するギブアは、神が滅ぼされたソドムの町のように罪に染まっていた。
帰宅途上のそばめを連れたレビ人がギブアで一夜を明かさなくてはいけなくなった。
彼らを迎え入れようとする家はなく、やっと通りがかったひとりの老人が泊めてくれることになった。
その時、町のよこしまな者たちによって、そばめ暴行死事件が起こる。
ベニヤミンがイスラエルの中で行ったこの恥ずべき出来事に対し、他の部族が報復することとなった。
事件を起こしたよこしまな者たちを引き渡す要求に対し、ベニヤミンは聞こうとせず、精鋭部隊を招集したのであった。
神は、そばめの出身であるユダから最初に上るように仰せられた。
神に伺いながらの出陣であったが、イスラエル人は最初は二万二千人、次には一万八千人と打ち負かされてしまう。
三度目には、すべてのイスラエル人が主の前に出て、泣きながら断食し、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ、伺ったところ、神は勝利を告げられ、イスラエルは大勝利を治めた。
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神が言われたことであっても、すぐには成らず、かえって間違っていたかのように悪い方向へと向かうことがある。
そこで疑い、あきらめたならば、勝利を手にすることはできない。
神が言われたことならば、再度、神に聞こう。
また、神に喜ばれない事柄がないか、振り返ってみよう。
誠心誠意をもって、罪をきよめていただき、へりくだった心で、御前に立つなら、神は勝利を与えて下さるお方だ。
あきらめずに、主に祈ろう!
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