「その手紙にはこう書かれてあった。『ウリヤを激戦の真正面に出し、彼を残してあなたがたは退き、彼が打たれて死ぬようにせよ。』」(Ⅱサムエル 11:15)
自分の命をねらっていたサウルに手をかけるのを拒んだと同じダビデの言葉とは思えない言葉である。
姦淫の罪を隠すために、手を尽くしたが失敗に終わったダビデが取ったのは、夫のウリヤを他の者の手によって葬り去ることであった。
事がすべて終わってから、神は預言者ナタンを遣わされ、ダビデに罪を指摘された。
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何も知らずに死んでしまったウリヤを思うと、神はえこひいきをなされているのではないか、と思えてしまう。
そのように思えるときには、「神の世界は、死で終わるものではない」ということを覚えておきたい。
ウリヤはどうしてそのようにこの世を去らなければならなかったのかは、誰にもわからない。
わかることは、キリストなる神は生きている者も死んだ者も正しくさばいてくださるお方だということだ。
正しいさばきをなさる神は、ダビデがしっかりと自分の犯した罪の重さを知ることができるよう、事のなりゆきを黙認されていた。
主を恐れつつ、信頼して歩んで行こう。
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