「主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。」(Ⅰ列王記 17:22)
主は、貧しさのあまり死のうとしているひとりのやもめを用いて、エリヤを養われた。
ある日、このやもめのひとり息子が病気になり、息を引き取ってしまった。
「神の人よ。あなたは私の罪を思い知らせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」と言うやもめから、エリヤは息子を受け取り、部屋にこもって祈った。「主よ。私を世話してくれたこのやもめにさえもわざわいを下して、彼女の息子を死なせるのですか。どうか、この子のいのちをこの子のうちに返して下さい。」と。
三度祈ったとき、主はエリヤの願いに答えられた。
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エリヤが祈らなかったら、この息子は生き返ることはなかった。
やもめは自分の罪を自覚していた。
かけがえのない息子が死んだ時、神の人エリヤに悲しみをぶつけた。
エリヤには、「神は死人をも生き返らせることができる」という信仰があった。
エリヤが祈った時、息子は生き返り、やもめは主のことばの真実を知った。
祈ることなしには、何も起こらない。
信仰によって祈ることが、祝福を受ける道である。
主に祈っていこう。
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