「彼らは聞き従うことを拒み、…ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。」(ネヘミヤ 6:8)
神によって、エジプトでの奴隷生活から贖い出され、主のみわざを間近で見てきた神の民であったが、自分の思い通りにならない荒野の生活に嫌気がさし、モーセを通じての神の言葉を待たずして、自ら徒党を組んでエジプトに戻ろうとした。
それだけではなく、自分たちのために目に見える神を求め、金の子牛を造り、これが神だと言って、祭りを開いたこともあった。
民は荒野の道中でつぶやき続けるにもかかわらず、主は忍耐と愛をもって、必要を満たし、民を導いてくださったのである。
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主は赦しの神である。自らの罪を考えた時、そのことがよく理解できる。
自分がどれだけ多く許されてきたことか、罪を見過ごされてきたことか。
そのことを知ると、感謝以外の言葉が見つからない。
今日も、一つ一つを思い起こし、感謝に満たされよう。
神に思いをはせる時、心をふさいでいた問題が何と小さいものであるかを知るだろう。
神がともにいて下さる!
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