「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記 31:6)
モーセがこの世を去ろうとする前に、民に語ったことばである。
40年間、神のもと、モーセは民を率いてきた。
エジプトを出たときから民は、事あるごとにぶつぶつと不平不満をつぶやき、モーセはとりなし続けた。
民が主を捨て、子牛の像を造って祭り上げ、その後についていこうとしたこともあったのだが、主は見捨てず、民を訓練された。
今後も、主を捨てることがあった時はわざわいが身にふりかかることが警告されているが、同時に、わざわいの中であっても、主に立ち返り、心を尽くして主に聞き従うなら、再び祝福すると語られている。
わざわいの中であっても、主は、ともにおられるのである。
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苦難の中においては、とかく先が見えず、神に見捨てられたかのように思えてくる。
そんな時、「どうせ私なんて…」というささやきに同意してしまうと、負のスパイラルに捉えられてしまう。
どうせ私なんて何をしてもダメだ、どうせ私は好かれない、どうせ私がしても喜ばれない… これは、自我からくる卑下である。
そのような思いが浮かんできた時は、主のことばを思い出そう。
「あなたはわたしの宝の民だ。雄々しくあれ。強くあれ。わたしはあなたとともにいて、決してあなたを見捨てない。」心を尽くして主を呼び求めるなら、主は必ず、あなたの声に応え、心に平安を与えてくださるお方だ。
その時、なすべき必要がある場合は、そのことも教えて下さるから、信頼することを選び、主を呼び求めよう。
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