神に従って行こう

「ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々のほうへ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(Ⅰ列王記 11:4)

ソロモンに与えられた海辺の砂浜のように広い心は、御霊の実の一つである寛容とは違う方面にも向いて行った。
ソロモンはエジプトのパロの娘だけではなく、多くの外国の女(七百人の王妃と三百人のそばめ)を愛して、主が注意を与えられても、離れなかった。
この妻たちが、ソロモンの晩年に、彼の心を主から離し、彼女らの持ち込んだ多くの神々に向けた。
そのため、神は、ソロモンに敵対する者を起こされ、イスラエルの王国を分裂に向かわせられた。
しかし、ダビデと神がお選びになったエルサレムのために、ソロモンの子にも一つの部族を残されたのであった。
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誰にも、与えられたよいものがある。
神に向かえば、それはすばらしい品性となって、輝きを放つ。
しかし、肉の欲のままにふるまっていけば、それは人徳どころか、あざけりの対象となっていく。
神が私たちに与えられている注意は、私たちの幸せのためのものである。
神の愛を軽んじることなく、従って行こう。

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