神による絆

「イエスは言われた。『神がもしあなたがたの父であるなら、あなたがたはわたしを愛するはずです。なぜなら、わたしは神から出て来てここにいるからです。わたしは自分で来たのではなく、神がわたしを遣わしたのです。」(ヨハネ 8:42)

イエスは、イエスの話を聞いて信じたユダヤ人に話された。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ 8:31)と。神が私たちの幸せのために与えて下さった律法を人間は、いつのまにか、「○○しなければならない。○○するべきだ。」という肉の規則にすり替えていた。
しかも、いろいろな規則を追加して、それが神のみこころであるかのように教えていた。
その教えは、人を束縛し、窮屈にし、喜びを奪い、神への認識をもすり替えてしまっていた。
そのような教えの行く先は、結局、罪であり、自分の思いにしがみつく頑なさ(罪の奴隷)である。
イエスは、「神から出たものは、わたしを愛するはずである。」と言われた。
神から出た者は、イエスの語る神の愛、愛が具現化したイエスを愛するようになっているのである。
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神の愛にとどまりつづけると、自然に、神を愛する者たちは、引き寄せられるように集められていく。
その絆は、神の愛によるものであり、強く、誰も切ることができないものである。
しかし、肉によって生まれた人間は、弱く、神の愛から目を離しがちである。
その隙をつくかのように、関係が壊れ、崩すような事柄が起こっていく。
イラっとしたとき、ムカっときた時は、イエスを思い出そう。
ねたみ、そしり、あざけりを超え、神の愛にとどまり続けた主が、いつもともにいてくださることを。

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