神により頼もう

「ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。」(Ⅱコリント1:9)

パウロは、死を意識するほどの苦しみの中を幾度となく、通り抜けた。
死に直面する度、小さな自分、土くれにすぎないはかない自分を実感したことだろう。
弱さの中で、主に呼ばわり、幾度となく助けられたことだろう。
死を意識する中で、パウロは、自分の思いを捨て、主に明け渡すことを学んでいった。
その経験に基づくパウロの言葉は、苦しみの中にある多くの兄弟姉妹の慰めとなり、励ましとなっいている。
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苦しみを知らない者にとって、他人の苦しみは理解できない。
傷ついたことがない者にとって、他人の傷・弱さは理解できない。
「自分は傷ついたことがない強い心の持ち主だ」という人は、強いようだが、実はもろい強さである。自分を知らない強さである。
かすり傷を含め、肉体に傷ついたことがないと言える人がいないように、心に傷を受けない人などいないのである。
主は、愛する私たちのために、涙を流された。
愛すれば愛するほどに、期待すれば期待するほどに、意に反する行為は、傷を与える。
傷つきながらも、その傷を自分にではなく、神に向け、神により頼むところに勝利がある。
神は、弱さの中に働かれる。弱いということは、実は最強なのである。
神が味方だからである。
傷も苦しみも主の前に差出し、明日も神により頼みつつ、信頼とともに生き抜いていこう。

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