「彼はまた、ネブカデネザルが、彼に、神にかけて誓わせたにもかかわらず、この王に反逆した。このように、彼はうなじのこわい者となり、心を閉ざして、イスラエルの神、主に立ち返らなかった。」(Ⅱ歴代誌 36:13)
エルサレムの滅亡が間近に迫っていた。
この頃は、アッシリアに変わってバビロニアが勢力をふるっていた。
主はバビロニアを、神の民を矯正するための道具として用いられたのである。
かたくなで反逆を重ねている神の民。
神に立ち返らせるためには、放置してはおけないところまで、悪化していた。
へりくだりと従順を学ぶために、バビロニアの王を遣わされたのだが、ユダ最後の王ゼデキヤは、これにも反逆したのであった。
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神の民であっても、主の裁きと同じような苦しみの中を通ることがある。
しかし、その状況の中、主である神に信頼するならば、苦しみが苦しみでなくなっていく。
国を奪われ、バビロニアに捕囚となって連れ去られるに委ねた神の民は、神に立ち返り、信仰を継承していった。
その苦しみが、自分の弱さから出たものであったとしても、そうではなくても、神に信頼しよう。
どこにいたとしても、神がともにいてくださる。
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