「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(マルコの福音書 9:50)
これは、イエスの名によって悪霊を追い出していた者を見たヨハネが、「仲間ではないのでやめさせた」と報告した後で、説かれたイエスの教えである。
弟子たちは、イエスの名での働きは自分たち直弟子の特権であるという誇りを持っていた。
他の者が悪霊を追い出していたところで、良いことをしているのである。
やめさようと思った理由は何であったのか。
《知らない者たちによって、イエスの名が使われている》そのことが不快であったのだ。
そのような弟子たちに主は言われた。
「やめさせることはない。反対しない者は、味方である」と。
そして、つまずきを与えることへの注意を与えられた。
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不快な思いが起こったとき、それがどこから来ている思いであるか、よく吟味しよう。
他人のよくない言動からであったとしても、それは自分から出ている思いである。
「外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」(マルコ 7:15)
塩は腐敗を防ぎ、聖さを保つ。
自分自身のうちに塩けを保ち、互いに和合を保って暮らしていこう!
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