「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア 24:15)
ヨシュアが老人になって、民をそれぞれの相続地に送り出す時に、すべての民に語った言葉である。
民が不満を持ちやすく、また、たやすく主から離れる性質をもっていることを、ヨシュアはよく知っていた。
相続地を得るために、主が介入して導き入れて下さったのだから、主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えよと、民に注意を与えたのであった。
その注意の後で、こう言ったのであった。主を選ぶか、他の神々を選ぶかは、自由意思による選択なのだと。
自由意思によるその選択は、自己責任を伴うものである。
誰がどうであっても、ヨシュアは「私と私の家とは、主に仕える。」と言い切った。
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他の誰が、主から離れ去ろうと、私と家族は主に仕える!と確かな意志をもって決意することが大切である。
この決心がないと、他の人に流されやすく、主を信じた後も、ふらふらと風の吹くままさまよってしまう。
それでも、主を信じているから大丈夫だと、当人は思っている。
聖書は、二心をもって歩むことに警告を発している。
これくらいは…という侮りを捨て、今、主に仕えることを決意しよう。
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