信じるということ

「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」(ヨハネによる福音書 20:27)

信じることと信じようとすることは異なる。
信じようとすることはがんばりを要する。
信じることは、ゆだねきっている状態である。
キリストの福音があまりにもすばらしく、キリストを信じたいと思い、決心に導かれる。
決心し、クリスチャンになった後、競争化社会に生きている私たちは、とかくこの世の基準でがんばってしまう。
みことばにあるからと、がんばって奉仕し、がんばって聖書を読み、祈ることすらがんばってしまう。
そうしているうちに、疲れ果て、神の愛も恵みも遠い世界に思えてくる…。
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愛によって語られたみことばを律法によって全うしようとしてはいないだろうか?
疲れた時、また、人と比較して平安を失っている時、思い出そう。
キリストは、私が罪人であったときから変わらぬ愛で、私を愛し、救ってくださったのだと。
がんばれない自分も、何もできない自分も、そのまま受け入れられている。
そう思い出したなら、す~っと肩の力が抜けて、自然体でいられる。
今日も、ゆだねることのできるお方に信頼して、歩んでいこう。

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