主の解決を求めよう!

「ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取り、それを読み、主の宮に上って行って、それを主の前に広げた。」(イザヤ37:4)

どちらを選べばよいか、どの選択をすればよいか、分からないという時がある。
事が重大であれば、重大であるほどに、どうすればよいか分からなくなる。
願望やリスク、いろいろ考えて、選択するかもしれない。
うまくいけば安堵の喜び、失敗すれば違う道を選べばよかったと、後悔するだろう。
自分では決められなくて、占いに走る人もいる。
どうしたら、平安に間違いなく選べるだろうか。
ユダの王ヒゼキヤは、強敵アッシリアに攻められ、神を冒涜する手紙を受け取った時、降伏する道、戦う道…といろいろ浮かんだだろうが、まず、主の前に行ってその問題を置いた。そして祈った。
祈りは聞かれ、翌朝、主の使いが出て行って、アッシリヤの陣営で、十八万五千人を打ち殺し、アッシリアの王は、帰って行った。
主は、思いも浮かばなかった道―戦わずして勝ち、主の栄光が満ちる―という方法を取られたのである。
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主の道は、私たちの思いに、はるかに勝っている。
私たちは、あれこれ思い悩むが、苦難も益に変えて下さる主は、思いもよらない解決法をお持ちである。
主の前にあなたの問題を差し出し、祈ろう。
主ご自身が解決へと導いて下さる。

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