「ヘロデはイエスを見ると非常に喜んだ。ずっと前からイエスのことを聞いていたので、イエスに会いたいと思っていたし、イエスの行なう何かの奇蹟を見たいと考えていたからである。」(ルカ 23:8)
ヘロデはイエスを喜んだが、この喜びは主ご自身を喜ぶ喜びとは違っていた。
ずっと会いたいと思っていた思いも愛情とは違っていた。
うわさに聞くイエスを、自分も見たいという興味本位であった。
つまり、あくまでも自分中心であり、主に救われたい、罪深い自分の心を変えていただきたいという心は持ち合わせてはいなかった。
奇蹟が見られるなら、何でも良かったのである。
イエスは、そのようなヘロデの質問に何も答えられなかった。
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自分中心の心で主に近づいても、主は答えて下さらない。
主の答えをいただくためには、主に明け渡す心が必要である。
自分自身の思いを十字架につけ、主のみこころに従いたいという意志が大切である。(決意が大切なのであって、実際にみこころを行わせて下さるのは主の助けによる)
主ご自身を喜んで行こう。
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