「そこでイエスは言われた。『あなたがたに、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの者には、たとえで話します。彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためです。」(ルカ 8:10)
イエスはよくたとえを用いて訓話を説かれた。
それは、彼らが見ていても見えず、聞いていても悟らないためであると言われている。
たとえというものは、よく考えないと理解できないものである。
神を知るためには、聞き従う心を持って聞く必要がある。
同じ神の業を見ても、同じ神の言葉を聞いても、心次第で、理解が異なってくる。
神というお方がどんな方かということを知り、祈り心をもって御言葉に思いをはせた時に、御言葉は生きた神のことばとして、私たちに語りかけてくる。
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御言葉を聞き流す者にはならないで、神が私に語って下さっているものとして信仰によって受け取ろう。
神のあなたへのみこころが見えてくる。
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