「彼らは、『あなたは気が狂っているのだ』と言ったが、彼女はほんとうだと言い張った。そこで彼らは、『それは彼の御使いだ』と言っていた。」(使徒 12:15)
ペテロは殺されるために牢につながれていた。
ヘロデは、すでに教会のある人々を苦しめるために、迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟のヤコブを剣で殺していた。
2本の鎖につながれていたペテロは、なんと御使いの光で照らされても起きることもなく、御使いに脇腹を叩かれ起こされるまで、2人の兵士の間で寝入っていた。
ヘロデがペテロを引きずり出そうとしていた前夜、御使いかペテロを救い出しにやれって来た時、ペテロは現実の事と思わず、幻だと思った
ペテロはどこにいても、平安であった。
牢につながれていても、それは変わらなかった。
それは主が助けてくださるからという理由付きの平安ではなかった。
死に打ち勝たれた神なるキリストから目を離さないでいたのである。
かつては湖の上で、イエスから目を外し、波を見た時、沈んでしまったペテロであったが。
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死をも恐れない信仰。それは自分で決心し頑張ってなせるものではない。
イエスさまとの日々の偽りのない交わりの中で、培われたものである。
そのようなペテロには、救い出された後も、自分を殺そうとしたヘロデに対する負の感情は見られない。
いつも、死に打ち勝たれたイエスを見上げて歩もう。
永遠の世界がそこにある!
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