「小羊うるちゃん物語」part 5-1 気付きのきっかけ

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  【Part4までの登場人物】
     うるちゃん  : 主人公
     へいわくん  : 夫
     なごみちゃん : 長女
     サイエン君  : 長男
     はづきさん  : 友人
     N師     : はづきさんを導いた女性
     H牧師    : H教会の牧師
     A牧師(夫人): A教会の牧師(夫人)
     Kさん    : はづきさん経由で知り合ったA教会の友人
     友人Nさん  : なごみちゃんの幼稚園のママ友

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 ある日、「エホバの証人をキリストへ」の働きをしておられる大野キリスト教会の文書を読んで、目を開かれる思いがしました。その抜粋をあげると・・・。

 ベバリィは、若い頃、献身して宣教師になりたいと願っていた。しかし主のご計画は異なり、彼女は結婚に導かれ、主婦として子供を育てるようになった。ある日の夕方、エホバの証人が彼女の家を尋ねて来た。彼女はしばらく話しているうちに、エホバの証人に証詞したいという思いが与えられた。
 具体的にどうしたらよいのか。何も分らなかった彼女は、アドバイスを求めて牧師の所へ行った。牧師はⅡヨハネの手紙 7~11 節の聖句を開いた。そして、「『エホバの証人』はこの箇所の『キリストの教えのうちにとどまらない者』である。彼らを家に入れてはいけないし、話をしてもいけない」と忠告した。牧師からそう言われ、彼女は帰宅した。だが、エホバの証人に対する救霊の重荷は大きくなるばかりだった。牧師の助言にも満足できなかった。彼女は牧師が開いた聖句をもう一度考えてみた。すると一つのことに気づいた。Ⅱヨハネの手紙において言及されている人は、『一度は真のキリスト教信仰に入ったが、その後背教してしまった人』のことではないか。一方、自分を訪問してくれたエホバの証人は、これまで一度も本当の福音を聞いたことがなかった人である。従って背教者と呼ぶことは間違っているのではないか。すると、このみ言葉を、私を訪問してくれたあのエホバの証人に当てはめることは正しいとは言えないのではないか。彼女もまた、真の福音を聞く必要があり、本当の救いにあずかるチャンスが提供されるべきではないか。そのような確信が与えられたので、彼女はエホバの証人伝道に献身した。その結果、彼女をとおして多くのエホバの証人がキリストの福音に導かれるようになったのである。

 これを目にしたうるちゃんは、心揺さぶられ、アーメンだと思いました。

 ある日、うるちゃんの家にやってきた若いエホバの証人の方を、自分がみことばも不十分だからと思い、「忙しいから」と、丁重に断りました。断った途端、自分の愛のなさと、他人の目を気にかけ心の中で異端であるエホバの証人を嫌っている自分に気付かされました。「今があの人の、真の福音を聞く一つのチャンスでもあった。」という追いかけたくなる程の思いがやって来て、後悔したのです。
エホバの証人の方だからといって、心で嫌い神の愛を伝えないことは、罪だと思いました。(信仰によって無視するよりも、異邦人であっても、真の福音を知らない人に伝えることのほうがみこころにかなうことだと思いました。)

 1996年10月18日(金)、はづきさんの家での家庭集会中、イエス様に心を向けると、次のような思いが心にわきました。救われてから3年弱の頃でした。

「肉から出たことは霊に反します。他の人が水をさすようなことがあっても、それが、愛からのことばでないなら、あなたは与えられた信仰を守りなさい。その言葉があなたををさげすみ、中傷するような言葉であっても、動揺してはなりません。『私は罪人であり、さげすまれ非難中傷されるに値する者』それがイエス・キリストに従う者の道です。エホバの証人の方々をも愛しなさい。わたしはその人たちを愛し、その人たちのためにも血を流し、罪を贖ったのです。切り捨てることが愛ではありません。以前からのウィリアム・ウッド師や中川啓介師の本やビデオでの学び、救いを受ける前にエホバの証人の学びを8ヶ月したというはづきさんが、あなたをイエス様に導いたということも、友人Iさんのお姉さんがエホバの証人になり困っていることや、友人Nさんのおばあさんがエホバの証人の誘いを受けていることも、偶然に起こったことではありません。あなたの家に、最近、急にエホバの証人がひんぱんに訪れるのも偶然ではなく、今日のビデオの学びも偶然ではないのです(家庭集会でビデオが上映されたのだが、そこで交わされる会話に「そうではない!」と悲しみが湧き上がってきて何か隔たりを感じたことを覚えている)。すべては神の御手のもとになされていることです。あなたが立ち上がる時です。あなたがたが立ち上がる時です。そのための知識の備えを与えます。まとめて準備しなさい。それがエホバの証人や異なる教えに足を踏み入れようとする方々にとっても光となるのです。それが羊を奪う者の手から、羊を守ることにもなるのです。」
                                                 ※ 下線部についてのコメント

 以前、うるちゃんの心に語られるこのような思いが、時によってサタンからであるとA牧師から言われたことがあり(神からだと言われることのほうが多かったのだが、気まぐれのようにサタンと言うことがあった)、たびたび否定してはみました。しかし、今までこの思いに従ってきて、多くのことが実現しているのです。反対に、イエス様の愛がよくわかるようになってくるこのような言葉がA牧師がいうところのサタンの欺きだとしたら、一体、何を信じればよいというのかわからなくなってくる。この思いに従ってきて、救いの道へ入れられたのですから。聖書も、うるちゃんの救いもひっくり返ってしまいそうになります。

 どのように準備すればよいのかと思いましたが、偶然に導かれるままに、新世界訳聖書(はづきさんが持っていたエホバの証人の聖書)の巻末にある「話し合いのための聖書の話題」をまとめました。書かれてあるみことばの箇所を「新世界訳」「新改訳」「英語(NKJ)」の三つを抜き出して表にしていくだけの単純作業でしたが、エホバの証人がどのように変えられたみことばでどういった教えを受けて訪問してくるのかが濃縮されていて、理解を深める作業となったのです。当時は、文書の作成はワープロでの作業でした。膨大な量で、途中で「何のためにこんな労力を使っているのか?」とやめたくなることもありましたが、その都度心に励ましを受け、1ヶ月以上かかりましたが、完成させました。

 この作業を始めた3日目、自転車に乗っている時、何もない道で、何か風のような、クモの巣のようなものが、目にからみついてきました(眼鏡をかけていたにもかかわらず、眼鏡を飛び越してからみついてきたような感じだった)。瞬間、目がとても痛くなり、開けていられなくなったのです。すぐに確かめたのですが、クモの巣はありませんでした。クモの巣でないことを確認したと同時に、「ワープロをもう続けるな! 続けると、目が見えなくなるぞ!」というおどしのような声が心に響いてきました。一瞬混乱しましたが、聖書のとおりイエスの御名で追い出すと、目の痛みも消えたのでした。もうやめようかな? と思いましたが、それが敵の手だと思えたので、作業を続けました。目はそれ以来、疲れることすらありませんでした。資料が完成して、どうやってコピーしようかと思案した時(コンビニで1枚1枚手差しで指しかえるには、膨大な作業になるからです)、へいわくんの知っている所に、オートフィーダー機能のついたコピー機があるのを思い出しました。相談したところ、すぐにやってくれました。ところが、へいわくんは、コピーして帰宅するやいなや、熱に倒れ、5日間寝込んだのです。(結婚してからもこの後も、このようなことはありませんでした。)       完成した資料

 はづきさんが、真の福音にまだふれていない、必要のあるエホバの証人を送ってくださるようにと、祈っていたら、ある女性Gさんに出会いました。そのGさんは日本の一般家庭同様、仏教を家の宗教としていたのですが、ある日、エホバの証人の訪問を受け、子育ての悩みなど、ひとつひとつ丁寧に説明されたことから、これが真理だと思い、入信したそうでした。はづきさんから相談を受けたので、祈りながら、はづきさんと一緒にGさんとの交わりを2回もった後、ウィリアム・ウッド師の「目覚めの時」の裏表紙が目にはいったのでした。「エホバの証人と何回か話し合いの場を設ける時は、必ず教会と連絡をとり、牧師の承認と指導のもとに行うことです。」と書いてありました。気にはなっていたことでしたが、A牧師に相談した結果は今までの経験上、わかっていたので、後回しにしていたことでした。

うるちゃんのいう今までの経験とは何だったのでしょうか?!   つづく・・・

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  【うるちゃんと教会】
  ☆ うるちゃんが電話をかけた「昔からの流れのキリスト教会」(part 1-3)
  ☆ はづきさん所属のA教会(part 1-3)
  ☆ 歩いて1、2分のところにあった近所のH教会(part 2-1)

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