「小羊うるちゃん物語」part 1-2 救いへの備え

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  【前回までの登場人物】 うるちゃん : 主人公
              へいわくん : 夫
              なごみちゃん: 長女

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なごみちゃんが生まれた頃、東京に最後に残っていた仲の良かった同郷の友人も郷里に帰ってしまい、心に寂しさを覚えていたうるちゃんは、なごみちゃんを連れてよく公園や散歩に出かけていました。公園でなごみちゃんを遊ばせているうちに、何人かの友人ができました。その中で、特に気が合い、仲良くなったのがはづきさんでした。

仲良くなって数か月後、うるちゃん家族は郷里に転勤になり、東京を離れることになりました。東京を離れても、はづきさんとの交流は続きました。うるちゃんは、親切で人がよいはづきさんが大好きでした。3年ほどして、再び転勤になり、うるちゃん家族は東京に戻りました。郷里で、長男のサイエン君が生まれていました。

はづきさんは、うるちゃんが転勤で3年ほど、東京を離れている間に、クリスチャンになっていました。しばらく会わずに再会したはづきさんは、うるちゃんに会うたびにイエス様のすばらしさを伝えてきて、トラクトとか、文庫本の新約聖書とか、キリスト教系の本をせっせと勧めて置いていきました。うるちゃんには、「変な宗教に凝りだして、本人が信じるのは勝手だが、人にまで勧めないで…。自分は今のままで充分に幸福なのだから…」という思いもどこかにありました。しかし、もともと本を読むのが大好きだったうるちゃん、読むくらいならと、抵抗もなく、勧められるままに本を読んでいきました。聖書を読んだとき、「『うるの神』と呼んでいつも感じていた神はイエス・キリストだったのだ。」と思えたのです。

うるちゃんの初めの記憶は、歩行器の中で、「うるはどこから来て、どこに行くのだろう? うるは何なのだろう? こうして、動いたり思ったりすることって不思議なことだな?」と、静物が動かないことや、動物が人間のように考えていないことが不思議でたまらないと感じている記憶でした。親に聞いたこともありましたが、幼児向けのファンタジー絵本を見せられ、その後は考えもしなくなっていました。その不思議への疑問の答えが、聖書に書かれていました。

それでも、「一度教会へ来て。」と半ば強引なほどのはづきさんの誘いになかなかのれずにいました。それは、幼いころからいろいろ熱心に宗教をしている周囲の人を見てきて、自分はそのような一つの宗教にのめりこむようなことはしたくないと思っていたことや、「キリスト教も、いろいろと氾濫している他の宗教と同じようなものだろう。」としか思っていなかったこと、キリスト教から多くの異端宗教も出ていることとからでした。

しかし、読んだ本などに惹かれたので、まず、うるちゃんは、トラクトに書いてあったように、思い当たる罪を言い表し、「イエス・キリストをうるの救い主として心に受け入れます。」と告白しました。1人でいる時にこっそりとです。「あ~、ばかばかしい。自分は何をしているのだろう。」という思いもありましたが、とにかく損もないだろうと言ってみました。

その頃のうるちゃんは、住んでいたシャ宅の人たちの不可解な態度に、悩みを覚えていました。転勤から戻って住んでいたその地区は、古くからのしきたりがあって、数年前に入居したシャ宅の人たちは、なじめずに不満を抱えていて、周囲に対しても冷たくなっていたのですが、越してきたばかりのうるちゃんには、困惑するばかりでした。

そんなある日、はづきさんが勧めてくれたマーリン・キャロザース師の「讃美の力」という本を読みました。その本には、「すべての事について感謝しなさい。」という聖書からの言葉と、それを実行したときに起こったことが書かれていました。日頃つぶやきが口をついて出てきてしまう うるちゃんにはぴったりだと思いました。うるちゃんは、まずそれを実行してみることにしました。本に書かれていた人たちのように、神に出会いたいと思ったのです。そこで、良いことはもちろん、思い通りにならないことも、努めて笑顔で「感謝します。」と声に出すことにしてみました。例えば、2人の子供を自転車に乗せ、いつもの道を通ると、工事中になっていました。とても遠回りしなければならなくなり、「あ~、なんで工事中なのよ。子供連れで急いでいるのに、ついていない。」とつぶやきそうなところを、あえて、「神さま、感謝します。遠回りすることが必要なのですね。」と口に出して言ってみました。「感謝します。」と言うことを繰り返していると、しばらくすると心が平安でうれしくなっていることに気付きました。

また、ある時、シャ宅の人の態度に当惑してはづきさんに相談したところ、「苦手だ、と思う人を祝福してみたら? それに値する人ならば、驚く程変わるし値しない人ならば、その祝福は自分に返ってくるから」聖書に書いてあると言われたので、わらにもすがる思いでその言葉を実行してみました。「○○さんを祝福してください。」と祈った翌日、出会うとにらみつけるようにすれちがっていたその人が、笑顔で挨拶して行ったのでした。その間に接触はなかったし、こちらの態度を変えたつもりもないにもかかわらずにのことだったので、驚きました。

この後も、はづきさんの勧めによって、聖書の言葉からの祈りをしてみると、タイミングよくきかれるということが何度かありました。生きている神に出会ったように感じられ、毎日がうれしく感じられました。

罪を悔い改め、一人でこっそりと信仰の告白をしたうるちゃんを待ち受けていたのは・・・?
つづく・・・

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【参考】コラム「体験からの信仰」

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